英語の勉強について 3

そもそも、なぜ私は、かつてあれほど苦しんだ大学入試に出てくる程度の単語を知っているのか?
なぜちょっとした言い回しで言いたいことがわかるのか?
それがわかればよいと思うのだ。
 
と書いた。
実を言うと、自分なりの結論はあった。(過去形であることに注意。)
それは、「私はアメリカで暮らし、たくさんの英文に触れたから」である。
アメリカで暮らす間、毎日が英語漬けだった。
私は、最初の1年ほどは、日本人を避け、実家への電話(当然、日本語)もほとんどせず、
日本語の文章もほぼ読まなかった。日本語のものは最小限のものしか持っていかなかったのだ。
辞書も、英和や和英の辞書は持っていかず、アメリカで買った辞書(当然、英英辞典(笑))を使った。
とにかく、日本語を見ない、聞かない、話さないで通して、かわりに英語を使っていたのだ。
次第に、夢も英語でみるようになった。
(当時の私くらいの英語力でそれをやると、命の危険もあったような気がするが、若かったのである。
 こういうとなんだが、アメリカでそこそこ長く暮らしているのに、本当に英語が話せない日本人を
 何人か見ている。その人たちは、決して、日本語から離れようとしなかった人たちだ。)
 
えー、なんだか、自慢話になってしまった。こほん。
まあ、要するに、そのくらいやれば、昔の私のように英語ができない人でもなんとかなるのだ。
それで、幼い我が子達を、そのような環境に入れることはできないが、まあ、毎日大量に英語を聞かせたり、
読ませたりすれば、そこそこの成果が期待できるような気がしていたのである。
 
しかし、そうでもなかった。
「毎日大量に英語」が難しい。
もちろん、子供が自主的にそういうことをするとは思えない。
当然、親がそういう環境を用意してやるつもりだった。
そのために、ケーブルテレビの契約をしたり、英語のDVDを買ったり。
しかし、そういう環境に、親が耐えられなかったのである。
私も妻も外国暮らしで長く日本語から隔絶された経験があるため、「そんなの余裕」と思っていたのだが、
日本に住んでいると、やはり(?)、「毎日大量に英語」はきついのだ。
 
なんだか、自慢のようなグチのようなものになったけど、今日はここまで。
続く。