記憶法について

最近、記憶法について考えた。
 
まず、人はなぜ覚えられないのだろうか。について。
 
・構造がないから覚えられない。
 (数字の無意味な羅列はなかなか覚えられない。)
・理解できないから覚えられない。
 (普通「数字の無意味な羅列」を覚えさせられることはない。
  しかし、理解できないことは、「文字の無意味な羅列」に近い。)
・きらいなものは覚えられない。
 (人間は、不快なものは忘れる傾向にあると思う。)
・重要性を感じられないから覚えられない。
 (「テストで良い点を取るため」には重要である。
  しかし、それだけの理由だと、感性レベルで拒否したくなる。)
・繰り返さないから覚えられない。
 (ほとんど繰り返し勉強をせずに「自分は覚えられない」と不満を言う人がいる。
  大好きな何かでもなければ、それは、普通、無理なんじゃない?)
・あせるから覚えられない。
 (「あんなに勉強したのに覚えられない」と言う人もいる。私だ。
  そういう場合、なんとも言えない、焦燥感に捕らわれるものだが、
  その焦燥感がさらに記憶を妨害しているような気がする。)
 
それでは、どうしたらいいのだろうか?について。
ただし、結論ではなく、第一案として。どれも簡単ではないと思う。
 
・覚えるべきものの構造を見つける。
 (現実には、「構造のないもの」というのは相当珍しい。
  だから、見つければよいのだと思う。)
・理解する。
 (これは上の項と同じである。
  「理解」とは「構造を見つけること」だと思うのだ。)
・好きになる。
 (前にも書いたが、これは人間で言えば「よく知る前に好きになる」と
  いうことと同じで、意図してやるのは難しいと思う。
  逆に、意図せずにできちゃう場合は、ラッキーと思おう。
  あまり好きでないものを努力して好きになるには、「よく知ること」だと思う。)
・重要性を感じる。
 (上に書いたものと大いに関係していると思う。
  ちなみに、私は圏論の本を読んでいて、自然変換のあたりで苦戦していた。
  もちろん、定義は理解できるのだが、「それが何?」という感じだった。
  ところが、息子の奴が「自然変換って重要なんだよ」などとのたまう。
  その瞬間から、私は圏論の本をかなりのスピードで読めるようになった。
  自然変換の重要性はいまだによくわからんが、「何か重要そう」とは
  思えるようになったのだ。そうしたら、その後に出てくる普遍射とか
  なんとかの新概念はみんな重要そうに思えて、どんどん頭に入るから不思議だ。)
・繰り返す。
 (ま、当然だろう。
  たまに、繰り返さなくても覚えられることがあるが、それはそれ。)
・あせらない。
 (パターンを作れば難しくないと思う。
  たまに、繰り返さなくても覚えられると主張する人がいるが、それはそれ。)