私流学問のすすめ

先日、同僚の経営戦略論を聞いた。
その主旨を私の言葉でまとめると、次のようになると思う。
 
 現代社会において永続的な優位性というものはない。
 企業は不断に不採算部門を整理し、有望部門に投資していかないと
 その企業自体が生き残れない。
 これまで「強み」と思われたものも整理の対象となる。
 
彼は、ミギでもヒダリでもなく、良い奴である。
そして、この話は私には示唆に富むものだった。
 
「整理」とは、売却や閉鎖を意味する。
うまく行けば「その従業員たちは、別部門に移される」ということ
なのだろうが、そんな保障はないように思う。
 
私は、そういう企業を個人的には、好きになれないだろう。
「不採算部門の従業員を切り捨てていくなら、その企業が生き残ることに
何の意味があるの?」と思うのである。
(おそらく、株主のために生き残る必要があるのだろう。)
 
しかし、これからの日本企業はそうなっていくのだろうと思う。
「それをやめさせる力」というものを想像することができないからだ。
それでは、そのような企業がメインとなる社会において、ゲ○ツや
ジョ○ズのようなズバ抜けた才能があるわけでなく、日銀総裁になれる程の
出世も見込めず、不動産や債権の収益だけでぜいたくできるほどの
資本がない人は、どうやって生きていくのだろう。
 
「社会を変える」という案もあるが、「社会を変える専門家」(政治家とか、
革命家)になるのでなければ、なかなかそうも言ってられないだろう。
(そっと社会の変革を支持するというのはある。
 しかし、それで社会が変わる日はなかなか来ないだろうと思う。)
 
「自分のいる部門が閉鎖されるとき、幸せに生きていける方法は何か」
という問題である。
私は、結局、「自分の強みを持つこと」だと思う。
会社から(なんらかの理由で)必要と思われていれば、自分の部署が
閉鎖されても、会社に残れるだろう。
あるいは、「売りにできる強み」があれば、この機会に転職や起業ができる
かもしれない。
 
それはどんな「強み」だろうか。
「力が強い」も立派な「強み」だろうが、現代社会で有効そうな「強み」は、
財力、コネ、コネ開発能力なんかではないだろうか。
それらに自信があれば、心配ない。と思う。
しかし、そうでなければ、「知性を持つこと」をお勧めしたい。
 
知性があれば、自分の部門が閉鎖される前に気配を感じることができ、
そのための準備をすることができるかもしれない。
知性があれば、別の部門に行かされても、適応できる確率があがるだろう。
知性があれば、その会社に見切りをつける方法も思いつくかもしれない。
 
だから、今の労働者に必要なのは、真に知性を磨く勉強だと思うのだ。