人はどうして勉強ができたりできなかったりするのか?3

B君は、なぜ、「学校で習った基本問題の解き方から応用問題が解ける子」なのか?
当然出てくるのは、才能やDNAの話だろう。確かに才能のある子はいると思う。
でも、才能だけのせいにして何もしないのは怠慢ではないだろうか?
家庭環境の話もあると思う。
家庭環境は、変えられる・変えられないの微妙な線上にあると思う。
だから、議論する価値は大いにあると思う。
しかし、「それは家庭環境だから。終わり」では、才能の話と同じである。
もう少し考えてよいのではないだろうか。
 
そもそもB君の長所は、能力的なことだろうけれど、それを生み出したのは性格だと思う。
B君は、町に興味を持つ性格、物事の道筋に興味を持つ性格、抜け目のない性格などのどれか、
(複数選択可)だったのだと思う。
 
そういう性格なら、B君のような能力を獲得できるチャンスは大きいと思うのだ。
だから、親や教育者は、子供がそういう性格になるよう、導こうとするのではないか。
「それは許されることか」という問題もあるが、薬品や機械を使うわけではなく、
会話などで「子供の性格を親が期待する方向に導こうとすること」は悪ではないと思う。
(アメとムチで望む方向に性格が変わることはないと思う。
 性格がゆがむ可能性はかなり高いと思う。)
 
私としては、多くの子供に「学問に興味を持つ性格」に育ってほしいと思う。
それは、単に「おもしろそーだなー」とぼんやり思うのではなく、サッカー少年がサッカーを
するように、数学やら何やらをしてほしいと思うのだ。
 
なお、サッカー少年がプロサッカー選手になるかどうかは別問題である。
私は、
 ・すべてのサッカー少年がプロを目指すわけでない。
 ・「プロを目指さないならやるべきではない・やってもむだ」とは言えない。
と思う。
「学問に興味を持つ少年」と「学者」の関係も同様である。
 
サッカーの好きな大人の中には、お金をもらわなくても、サッカー少年の数を増やそうと
する人がいる。そして、サッカーの良さを力説する。
勉強が好きな大人である私は、お金をもらわなくても、「学問少年」の数を増やしたいと思う。
(もちろん、一番大事なのは、我が子である。)
学問(勉強)の良さも力説する。(ただし、ここでは略。笑)
 
えーと、ここまでは、実は、本論ではなく、本論に行く前の言い訳の準備なのである。
要するに、B君的能力を身に付けるためのもっとも(私にとって)望ましいことは、
「町(学問のこと)に興味を持つ性格」になってほしいということだ。
たとえ話をやめて具体的言えば、数学を好きになれ、理科を好きになれ、国語を好きになれ、
英語を好きになれ、社会を好きになれ、である。(順番に深い意味はありません。)
おそらく、たいていの人にとっても、同じだろうと思う。
しかしまた、子供をそのような性格に導くことも一般には大変難しいように見える。
おそらく、たいていの人にとって、これも同じだろうと思う。
(ちなみに、子供一般の話をしているのであって、我が子の例を語っているわけではない。
 我が子の話は、こんな風な「論」の中では語らない。)
 
だから、ここでは、子供を「町(学問)に興味を持つ性格」にするダイレクトな方法は
議論しない
のである。
そんな方法がないとは言えないが、万人に効果のある簡単な方法などは、ないと思うからだ。
えー、こほん、言い訳終了である。
 
続く。