ある事実に関して

たぶん誰もが1度は(あるいはもっと)目撃していて、ものすごく大事なことなのに、
ほとんどの人は考察しない事実があると思う。それは、
 
 同じ教室にいて同じ授業を聞いているのに学力が伸びる子とそうでない子がいる
 
という事実だ。あるいは、
 
 同じ参考書を読んでいるのに・・・
 
としてもいい。
 
みなさんは、これをどう考えているのだろうか?
そんな事実はないとか?
私には、これは厳然たる事実に見える。
 
さて、これが事実だとして、「なぜそんなことが起こるのか?」というと、まあ、
まず「才能」という言葉が思い浮かぶと思う。
しかし、「才能」だとしても、「才能」とは先天的に決まっているものだろうか、
後天的に伸ばせるものだろうか?
あるいは、「学力が伸びる子は、そうでない子に比べて、家庭での学習時間が長い」
などという可能性もあると思う。
すると、それは「才能」というより「努力」なのだろうか?
「努力」だとしても、「努力できる」というのは、一種の「才能」ではないのだろうか?
しかし、やっぱり、あんまり努力してないのに学力が高い子もいるように見える。
やっぱり「才能」なのだろうか?
 
それから、もっと重要(?)な問題もある。それは、
「自分の子は、同じ教室にいて同じ授業を聞いている他の子より学力が伸びる
タイプなのか、そうでないタイプなのか」という問題である。
 
これらは、科学的な問である。
つまり、「正解」がちゃんとあり、数十年、あるいは、数百年かけて、(残酷な)実験を
繰り返せば、その「正解」を知ることもできるだろう。
しかし、そんな実験はできない。
だから、我々がその「正解」を知ることは、ほぼ確実にできないだろうと思う。
 
正解がないのではなく、正解はあるけれど、知ることはできないのだ。
その結果、この「問題」は「科学的な問」ではなくなり、「哲学的な問」になると思う。
つまり、上記の事実を前に、
 
・我々はこの事実をどう解釈すべきか。
・その解釈の上で我々はどう生きるべきか。
 
ということが「問」となるのである。
これらに「正解」はないと思う。その根拠となる科学的データはあり得ないからだ。
 
ほんとはイッキに終わらせたかったが、続く。