う〜ん(怒)

国公立大学で学力をみる2次試験を廃止し、面接など「人物評価」で
合否を決める・・・という狂った方針が検討されている由である。
このような案を出す方々の「人物」は最低であると思う。
敢えて言おう、○○であると。
 
最近、日本からノーベル賞が続出している感があるが、彼らは
決して「人物評価」されてきたわけではない。
 
付記:
オリンピックに向けて「才能ある若者」を見出し、育てるというニュースを見た。
運動神経などのテストを行い、能力のある子を見つけ出し、教育するとか。
そして、金メダルをとらせたい、と。
 
「えぐいな」という感想もあるが、特に反対はしない。
しかし、それなら、なぜ、学問において同様のことをしないのだろうか。
それから、少なくとも、「人物評価」を重んじる教育学者のみなさまは、
「オリンピック候補の選考では、実技テストを廃し、人物評価のみで行うべき」と
なぜ主張しないのだろうか。
 
何が言いたいかというと、スポーツの世界では、「1点を競う」ということが
むしろ賞賛されるのに、勉強の世界では嫌われる。
それはなぜだろうか、と。
私は、そこに、「スポーツを○カにしている姿勢」、さらに言えば、
「他人の努力を上から目線で軽んじている姿勢」を感じるのだが。