ちょっと思ったこと

数学において、問題は、「式を立ててから解く」のが基本。
初心者は、式を立てながら解いてはいけない。たぶん。
 
習い始めの方程式など、うっかりするとはじめから答がわかる。
たとえば、「ある数を3で割ると5になる。その数は?」なんて問題。
方程式の練習なら、当然、x/3 = 5 として、これを解いて、x = 15 となる。
 
しかし、目ざとい(?)子なら、式など立てずに15とわかる。
そのためか、なんだか中途半端な立式で、x = 15 と言ってしまうかもしれない。
「わかるんならほっとけばいい。むしろ押し付けはいけない」というご意見も
ありそうだが、それを許していると、「方程式の概念」を身につけるのが
人より遅れるかもしれない。
ただ遅れるだけならいいが、それが何かの連鎖を引き起こすのが怖い。
 
一方、最近の(大部分の)公立中学は、絶対式を立てさせ、途中計算も
書かせる方針だと思う。
それがなければバツなのだ。
それは、上記のような事態を避けるためだと思う。
初期段階においては、大いに賛成である。
 
しかし、「全員一律、絶対、式も途中計算も書け。それがなければバツだ」を
やりすぎている気もする。
繰り返すが、初期段階では必要だと思う。
しかし、これをずっと続けるのもよくないと思うのだ。
 
たとえば、中学3年生になってより複雑な問題を解くときに、上の問題が
そのごく一部として入っていたとしよう。
(つまり、その部分が、その問題のキーポイントではないとしよう。)
そのような場合でも、あくまで、
 
 その数をxとおく。
 x/3 = 5
 x = 5×3
 x = 15
 よって、その数は15。
 
なんて書かないとと×ということには、賛成できない。
それじゃ、いろいろなところで、間に合わないだろうからだ。
(状況に応じて、次のようでもよいと思う。
 ケース1(スタンダード)
  その数をxとおくと、x/3 = 5。よってx = 15。
 ケース2(はしょり版)
  その数は15だから、、、)

基本はしっかり身に付けさせるべきだ。
そのときは、忠実に型どおりの解答を書かせるべきだと思う。
しかし、基本が身に付いたら、その型を崩していいし、場合によっては、
それを推奨すべきだとも思う。
 
教育は難しい、人手のいる仕事なのである。