「数学の問題を何度も解きなおす」について8

「数学を勉強していくということは、数学に関して自分なりの理解を持ち、
その理解を不断に磨き、研ぎ澄まし続けるということ」だと思うのだった。
 
まず、最初に「自分なりの理解を持つ」にはどうしたらいいんだろうか?
たとえば、三角関数
まあ、その、sinは高さ/斜辺、cosは底辺/斜辺・・・。
つまらぬ。貴様の話は心底つまらぬわ。
と、言われてもしかたがあるまい。
いったいどんな人が(子供が)この話を聞いておもしろいと思うんだろう?
 
私はつまらないと思った。
ところが、今の私は、三角関数がものすごくおもしろい。
どうしてそうなっちゃんたんだろう、と言うと、そこには長い歴史がある。
その話はしない。つまんないだろうから。
でも、長い歴史があるってことは、最初があって、そこをなんとかクリア
できたから、長い歴史になって、最後はおもしろくなったのであるっ。
 
それなら、その最初はどうだったのか。
と言うと、それは、どんな数学の問題集にもある、退屈極まりない基本問題の
繰り返しだったような気がする。
あれをエンエンとやらされた記憶がある。
それから、テストで全然できなかったんじゃないかな?
だって、つまんないもんね。
でも、それを乗り越えたから、なんとかなったんだ。
 
すると、つまり、あれかな。
「つまらない勉強であっても、将来必ず役に立つ。だから毎日コツコツやりなさい」?
いやいやいや。
それはそーかもしれないけど、私がしたいのは、そーゆー話じゃない。
 
まず、「つまんねー」と思うものでも、やってるうちに面白くなることがある、
ということだ。
ただし、それは「その人の運」だと思う。
私は、「三角関数がおもしろくなる運」を持っていたのだ。
変に傲慢だと思われると嫌なので、確認しておきますが、「私にはそういう
才能があった」と言っているのではない。
「つまんねー」と思い、テストでいじめられても、運よく完全挫折をしなかった。
そうこうしてるうちに、三角関数のおもしろさ(物理で出てくる)に出会えた。
そういう運があっただけのことなのだ。
 
しかし、自分の子供はもちろん他人様の子供であっても、そんなに運任せにはできない。
放し飼いで上手になるとは思えないのだ。
 
なんだか、まとまらなくなってきたぞ、と。