「数学の問題を解きなおす」について7

紋切り型で申し訳ありませんが、たとえば、「海は母である」なんて言葉がある。
たぶん、誰でもそんなことを言われたら、言いたいことはだいたいわかる。と思う。
しかし、そう言った人にはそれなりの思い入れがあって、それを他人が理解できて
いるかどうかはわからない。
 
たとえば、「傾きとはyの増加分をxの増加分で割ったものである」と
言ったときにも同様のことが起こっていると思う。
ちんぷんかんぷんという人は、説明を聞こう。
説明を聞いたら、表面的な意味はわかると思う。
でも、中学生がその説明を聞いて、胸に沁みこむというか、「う〜ん、まったく
だよな〜」とわかるには、普通、到らないと思う。
そしてそのまま大人になってしまった人も多いのだと思う。
 
ところが、ここに数学好きのおじさんたち(プロを除く)を集めてきて、
「どうですか?」と聞けば、「傾きって、直線の傾きって意味だよね?」なんて
聞くかもしれない。
すると、誰かが、「微分ってことだね」なんて言い出し、「微分ってのは、
微分係数のこと?微分係数微分は区別した方がいいと思うよ」とかなんとか、
徹夜の熱い議論になること請け合いである。
というのはウソだが、まあ、要するに、そんなことがあってもいいほど、
語れるものだと思う。
 
おじさんはどうでもいいのだが、中学生・高校生だって、数学が好きな人なら、
数学のいろいろについて、意見があることが多いと思う。
(「そういうのが一切なくて、数学のテストの点だけいつもいい」という人も
 いるかもしれないが。)
 
何が言いたかったかというと、一口に「定義を理解する」と言っても段階が
あると思うのだ。
その段階(階段)を登っていくことが、「数学をより理解していく」ということ
であり、そのための行為が「考える」であるのではないか。
そういう行為の仕方そのものを、口頭で説明するのは、絶望的に難しいと思う。
 
では、伝えることは不可能かというと、そんなことはないと思う。
口頭で説明するのは絶望的だが、態度で示すことはそんなに難しくないと思う。
具体的には、数学の問題を解いて見せ、その美しさを強調し、ついでに、
隠すことなくそのときの恍惚感をお見せすればいいのだと思う。
(塾を礼賛するわけではないが、理系科目の有名講師には、そういう方が
 けっこういらっしゃると思う。)
 
あれ、「問題を何度も解きなおす」から離れちゃったぞ。
でも、ここまでをまとめておこう。
つまり、「数学を勉強していくということは、数学に関して自分なりの理解を
持ち、その理解を不断に磨き、研ぎ澄まし続けるということ」だと思うのだ。
(あ、高校までの話です。プロのことは知りません。しつこいですね。)
ここで、重要なのは、その努力が「不断であること」だと思う。
だって、とぎれちゃったら、普通、やり直しでしょ?
あ、ここで「何度も解きなおす」に近づいてきた。