「数学の問題を何度も解きなおす」について5

数学の話である。あ、高校までの。
昔、塾の先生をしていて思ったことがある。
それは、多くの生徒が、答を出すことに取らわれ過ぎているということだ。

答がでないと不安だ。あるいは、つらい。まあ、それはわかる。
でも、「答を出そうとする努力」をするために問題を解いているのだから、
それが正常な状態なのだ。
なんでもかんでも、すぐ答が出たら困る。
すぐに答が出なくて、よかったのだ。
 
一方、答が出ると安心しちゃう。楽しい。まあ、それもわかる。
けれど、本当に安心してよいのだろうか?
「さくさく解ける問題」なんて、やるだけ無駄というか、人間の時間は限られて
いるんだから、できるだけやらない方がいいと思う。
(正確さとかスピードの鍛錬なら別。)
間違ってやさしい問題をやってしまったら、大損なのだ。
 
ここまで正しかったとして、「数学の問題を解きなおす」とはどういうことだろうか。
一度やって解けた問題があるとする。
解けても、その場で、よくよく考えるべきだと思う。
そして、その問題にもうおもしろいところがなかったら、その問題は卒業しよう。
 
一度頑張って解けなかった問題があるとする。
そのときは、その問題の解き方を教わり、自分でも考えてみるべきだろう。
で、しばらくしてまたその問題をやってみて、解けなかったらどうだろう?
私の正直な感想は、「それまずいんじゃないの?」だ。
それは、考えが足りなかったのだと思う。
では、逆に、その問題がスラスラ解けたらどうだろう。
それは、やるだけ時間の無駄でしたね。貴重な時間を無駄にしてしまいました。
 
世の中には同じ映画を見たがる人がいる。
同じ本とか。
私にはよくわからないが、あ、そうだ、「ラピュタ」は定期的に見たくなるな。
だから、そういう気持ちで、「またあの問題が解いてみたいな」と思うなら、
それもいいと思う。レクリエーションとして。
しかし、(半)強制されて同じ問題を解くのは、あまり効率がよくないように思う。
 
それでは、(上記の例を除いて)数学の問題の解きなおしはすべて無意味かと言うと、
そうでもないと思う。
では、どういうときに、意味があるのだろうか。