ちょっとSF 3

「生まれたままの私」が、「数学が得意」になるのには、次のような過程があると思う。
 
  数学が得意(上級)
    ↑         ← 本人の努力
  数学が得意(初級)
    ↑         ← 生い立ち
  生まれたまま
 
おおう。なんて怪しげな図なんだろう。危ないおっさんですな。
しかし、そう思うのである。
ただし、いつものように、「数学が得意」とは、上級であっても高校数学までの話である。
プロの数学者の話など最初からしていない。
 
英語圏からの)帰国子女が英語が得意な理由は、誰にもあきらかである。
英語を話す国で育ったからだ。
誰もが、ちょっとうらやましいと思いつつ、それなりに納得もいく。
 
数学はどうだろうか。
同じ国で同じように暮らしているのに、数学が得意な人とそうでない人にわかれる。
条件が同じなのに結果が違うなら、それは「出だしが違う」ということであり、そこから
「才能」という話にもなるのだろう。
 
当然、なんにでも才能ってあると思う。
誰もが努力すればオリンピックの短距離選手になれるとは言えない。
しかし、誰でも、努力すれば「そこそこ足の速い人」にはなれるのではないだろうか。
数学だって、高校数学までなら、同じだと思うのだ。(いつもの話である。)
 
だが、現実はなかなか難しい。
「足の速さ」なら、遅い人は「俺、走る練習なんかしてないもん」と言うだろう。
実際、まじめに練習すれば、「一般の人より遅い人」ではなくなると思う。
(もちろん、若者の場合である。)
一方、数学の場合、「一生懸命勉強してるのに、成績が全然上がらない」なんて話も聞く。
 
しかし、それは、本当は違うと思う。
つまり、「一生懸命勉強してるのに数学の成績が上がらない」なんてことはないと思う。
それは、たぶん、本人は「数学の勉強をしているつもり」でも、本当は数学の勉強を
していないのだ。
なぜそうなるかと言うと、その人は「数学の勉強の仕方」を知らないのだ。
それは、速く走りたい人が、走る練習をせず、どういうわけかウエイトトレーニングばかり
するようなものだ。
 
「数学の勉強の仕方を知っている人」を、ここでは「数学が得意な人(初級)」とよぶ。
そういう人は、多くの場合、血のにじむような努力の結果そうなったのではなく、
なんとなくそうなってしまったのだと思う。
それは、「数学の国に住んでいたので、自然に数学を話すようになった」というような
ものだろうと思う。
 
数学の国に住んでいる人は、(比較的)自然に数学が話せるようになる。
非数学の国に住んでいるといくら努力しても、その努力の大部分は間違っていたりする。
しかも、非数学の国には、「数学なんか才能がなければできるようにならない」と
思わせる事物がよくある。
 
それでは、数学の国はどこにあるのか。
数学の国は、たぶん、不定期に現れたり消えたりしているんだろうと思う。
同じ国の同じ学校の同じ教室の中のある所が数学の国になったり、そうでなくなったり
するもんだと思う。
(「数学の穴」と言ってもいいのかも。)
 
当然のことながら、親の影響はあると思う。
サッカー好きのお父さんの子供が、幼少時よりサッカーチームに入れられて、
実際サッカーが上手になったりすることは多いと思う。
その子にとっては、家庭やサッカーチームが「サッカーの国」だったんだと思う。
ただし、いやがる子供をサッカーチームに入れても、サッカーが上手になるかわからない。
これは重要である。
 
ところで、私は、「お父さんがサッカー好き」なら、その「好き」という事実こそが、
大きな影響力を持つと思う。
つまり、サッカー選手の遺伝子を持っていなくてもよいだろうと思う。
 
数学に話を戻そう。
「お父さんかお母さんが数学好き」なら、幼少時に「数学の国」に出合う可能性が、
他の人よりは高いと思う。
両親が数学者である必要もなければ、成績優秀者である必要もないと思う。
ぶっちゃけ、口先だけ「お父さん、数学好きだったんだー」でも効果があるかもしれない。
しかし、それが必要十分条件でもないだろう。
数学が苦手なご両親のお子さんでも、数学大得意という人はたくさんいる。
 
幼少時に「数学の国」に出合わなかった人はどうすればいいのだろうか。
「数学を捨てる」というチョイスはないとして。
無理やり塾に入れれば、ますます「数学の国」から離れて行く可能性も高いと思う。