正義の人2

とかく、「正義の人」というのは、生きるのが大変である。
 
我が娘は、幼少時、女の子のグループで電車旅行をした際、キセルを持ちかけられ、
それを断固拒絶したそうである。
娘がかぶりを振って拒絶したため、駅員さんが不審がってしまい、結局誰もキセル
できなかったという。
そのため、年長の女の子に「あなたは協調性にかける」と叱られたそうである。
 
その年長の子は、娘の行動を「協調性にかける」つまり「正義にもとる」と判断し、
非難した点がおもしろい。
そもそも正義なんてものは、いかがわしいのである。
 
私は、娘を断固支持するし、そのまま育って欲しいと思う。
我が子に何の問題もない。
しかし、以下の点は、ときに「問題」になる。
 
キセルをする子の心理がまったくわからない。
・「あなたは協調性にかける」の論理がわからない。
 
実を言うと、キセルを提唱したお子さんたちの親御さんを知っているのだが、
おそらくキセルは親御さんたちの指示であったのだと思う。
彼らは、貧しいわけではなく、単に罪の意識が希薄なのである。
娘には、そういう事情を推測することができない。
また、「あなたは協調性にかける」というのは、「論理」としてはおもしろいと思う。
その子は、本気で言っているのである。
娘には、これまた理解できないことである。
 
「そんなこと理解できなくてもよい」とは思うのだが、娘が国語で、たまに
トンチンカンな解答をしてしまうことと、無縁でもないと思うのだ。