正義の人

なんの話かと言うと子供、特に、娘の教育の話である(笑)。
 
私は、「正義の人」である。
子供たちも妻もそうである。
ここで言う「正義の人」とは、物事の判断に「正義」を重んじる人という意味だ。
漫画の中の悪の帝王でもなければ、「俺は悪が好き」という人はまあいない。
しかし、私が思うに、「正義かどうか」という判断をほとんどしない人もいる。
そういう人が重視するのは「感情」であったり「損得」であったりする。
いずれにしても、正義のことをあまり考えずに行動できる人は、けっこういる。
 
私はそうではないのだ。
別に自慢しているわけではなく、それがサガなのである。
(高度成長期に日本で育った人は、たいていそうなると思うのだが。)
私も人の子なので、損得はいつも考えているし、時に、損得を正義に優先させる
こともあるに違いない。(あんまりそう考えたくはないのだが。)
しかし、「それは正義か?」という問題が非常大きく、不正義がすごく嫌いなのである。
 
さて、見せ掛けではなく、サガとして正義の人は、国語の成績がよくない傾向に
あるような気がする。
小説文の読み取りが、本当に難しいのである。
正直なところ、勧善懲悪なお話の方が読みやすい。
逆に、悪が栄えるような話は、心の底から不愉快で読むのが苦痛なのだ。
 
ただし、これは、大人になることによって、まあまあ解消できる。
私は大丈夫。
息子も「has grown out of 危険」だと思う。
妻は、どうせ受験しない。
あ、つまり、正義がどうのと言ってるけど、受験の話なのである。
そして、今、問題なのは、娘である。
 
国語の問題出題者は、「文章を客観的に読み取る能力」を問う。
「自分がどう思うか」ではなく、「作者が何を書いたか」と。
その能力はとても重要である。
「数学ができれば、別にいいでしょ? 数学で会話すればいいんだし」
とも思う(極論っす。すんません)のだが、、、。
まあ、数学の話はさておき、国語の話。
 
先生はきっと「好き嫌いは関係ない。作者の言いたいことを読み取れればいい。
批判はそのあとにできる」とおっしゃるのだろうが、とにかく、「見るのも
嫌なものを見て、その中身を記述する」のは、とにかく苦行なのだ。