私の宗教

いや〜、あんまり書かない方がいいのかもしれないけれど。
ウチは神道である。(でも、私はヒダリの人である。笑)
 
おじいちゃんが、折々の儀式で祝詞を読んでいた。
しかし、おじいちゃんは、自分の子供たちに、「興味がなければ覚えなくてよい」と
言っていたらしく、実際、私の知る限り誰も受け継いでいないように思う。
子供の頃、日本神話が好きで、かなりの部分を語ることができたが、
それとこれとは関係ないと思う。
 
高校で大変尊敬できる先生にお会いしたのだが、先生はよく仏教の話をされていた。
(ただ、今思うと、先生の仏教の話は仏教ではなく「日本教」の話のような気がしている。)
そこで、仏教やキリスト教にも興味を持つようになった。
また、改めて、教義のない(としか私には思えない)神道にも興味を持った。
おかげで、私はたぶん素人としてはかなり宗教に詳しい人である。
 
ところが、大学に入ると、友人たちが、ときどき「おまえんとこ何宗?」「ん?ウチは○宗」
などという話をしているのを聞いて、「意味がわからない」ということに衝撃を受けた。
もちろん、それは、仏教の中の何宗という意味だったのだが、考えてみると、それまで、
私は、日本の家庭はたいてい神道だと思っていたのだった。
そこではじめて自分が宗教的マイノリティーであることを知ったのである。
なお、友人の中には般若心経(の一部だろう)をソラで言える奴が結構いて、
「なんだかかっこいい」と感心したものである。
また、今日まで生きてきて、「日本は神の国」などと言い出す人はそれなりに見てきたが、
「実家が神道」という人は、1、2名しか知らない。
 
宗教は私にとってちょっと趣味になってきたので、外国に行ってもときどき話題にした。
そこで思ったのだが、一概にキリスト教と言っても、ずいぶん違うようなのだ。
(はっきり言って、私より教義を知らない人の方が多い。)
 
あくまで個人的な体験だが、ちょっとびっくりはアメリカのカトリック教徒だった。
私が知っている日本のカトリック教徒とは、ちょっと違って見えたのだ。
一方、アメリカのプロテスタントは、我々にとても近い気がする。
宗教のことを聞くと(アメリカで宗教の話題はタブーであるそうだ)、ちょっと
恥ずかしそうに、「両親はキリスト教徒、だから、まあ、俺もかな」なんて反応が多く、
「おお、日本の学生(仏教徒)と同じ反応だ」と思ったものだ。
 
ヨーロッパに行くとまた印象が変わった。
私は南ドイツにいたので周り中カトリックだったが、普通の日本人にも似ていると思った。
ある日、あまり教養のない(ごめんなさい)、しかし、心優しいドイツの女の子が、
私に「キリスト教の十字の切り方」を教えてくれようとした。
そして、「やってみて」と言うのだ。
私は趣味的に宗教を見て回っているが、信じていないのにそれはできない。
(同様に、「南無○○」も、引用としてしか言いたくない。)
で、困っていたら、まわりのドイツ人がすっとんできて、「やめなよ。○○(私)は
キリスト教徒じゃないんだ」と言ってくれた。
そのときの彼らのやさしい言い方、私への配慮に、共感を感じるものがあったのだ。
(当の女の子は「キリスト教徒でない人」の存在に驚いていたようだが。)
ただ、ヨーロッパでは、私に見えないところで、「穏やかに」宗教的対立があるようでもあった。
アメリカでは、私の見えるところにあった。)
 
「君は神を信じるか」と言われると、アメリカのプロテスタントたちのようにちょっと困る。