「仮面をかぶって書け」と言いたい

最近、ちょっと若者の文章を指導しなければならなくなった。
文章指導というのは、本当に難しい。
その理由はいろいろあるのだが、たとえば、次のようなものがある。
 
・正解がはっきりしない。
・人格の否定ととられかねない。
 
まず、「君ここおかしいよ」と言う自分が絶対に正しい保証がない。
その上で問題になるのは、それが下手をすると人格の否定につながるからだ。
これは、自分の子供の作文を見てやるときに、強く思った。
が、それは結局自分の子供であり、自分が言ってやるしかないと決断もできた。
 
しかし、他人のお子さんだとどうなんだろう、とも思っていた。
が、よくよく考えてみると、子供ではない、若者である。
もう人格の中枢部は完成しているのだから、「人格の否定」にはならないはずだ。
つまり、「社内レポートにこんな風な話し言葉は使わん方がいいよ」と言っても
それがその人の人格を否定していることにはならないはずなのだ。
論理的には。
(相手が子供の場合、話し方、書き方は、その子の人格に直結しているので、
 「こういう言い方はおかしい」というのは、即「人格の問題」につながるのだ。)
 
しかし、人間というのはそんなに論理的ではない。
「お母さんは僕の書く文章をとっても温かみがあっていいって言ってくれる。
 あんたみたいなおっさんに僕の文章を否定されてたまるか」みたいな反応だって
予想される。(実際にそういうことがあったわけではない。)
 
で、思ったのだ。
私が会社で上司然としているのは、上司という役割があるからだ。
正直、あんまりやりたくない役割だが、その役を演じないと給料がもらえんのだよ。
そして、その役割で君らを指導しておるわけだね。
 
だから、君らにも提案したいんだ。
今の自分の役割を自覚してだね、その役割の人が書くべき文章を書くんだ。
社内レポートの文章とお母さんに書く手紙の文章が同じである必要はない。
と言うか、むしろ、同じだったら不気味だろ?
文章とは、仮面をかぶって書くものではないだろうか?