歴史に関するとりとめもない話

もういいかげんにせーと言うほど書いているが、私は子供の頃、社会科が苦手だった。
いや、思い出してみると、小学生の頃は、他の子の知らない「租庸調」を知ってたりして、
むしろ得意感があった。
中学校の低学年でも社会の授業は楽しかった。
はっきり重荷だったのは大学受験のときだ。
そう考えると、う〜ん、人の記憶ははかないもんだ。
 
閑話休題
それで、まあ、その子供の頃、社会科の歴史で、こんな風に考えたかなと思うことがある。
そうはっきり考えていたのではなく、「感じたこと」を大人の私が述べるなら、ということだ。
あ、上に書いたように、もしかすると、記憶の再構築かもしれないけれど。
 
え〜と、本題。
日本史では、奈良時代に関してずいぶん仏像の名前を覚えさせられる。
私には興味はないのだが、仏像が重要だというならそれもいいでしょう。
で、平安時代の仏像、鎌倉時代の仏像、、、と続けて覚えていくのだと思ったら、
奈良時代以外はほとんどない?(鎌倉時代金剛力士像くらい?)
逆に、江戸時代だと浮世絵というのを覚える。
ああ、そうか、絵か、、、と思うと、奈良時代の絵っていうのがない。あ、教科書にね。
これはどうしだもんだろうか、と思った。
そして、システマチック大好き少年の私は、「歴史は何を勉強してるのかわからん」
となったのだった。
 
この「わからん」という気持ちはわかっていただけるだろうか。
たぶん、社会科がわかっている人には、わからないのではないだろうか。
それは、我々が、方程式がわからない子の気持ちがよくわからないのと同じではないかと。
 
最近、歴史を勉強して、奈良時代の文化において特徴的なもの特筆すべきものが仏像であり、
江戸時代の文化において特徴的なもの特筆的なものが浮世絵なんだろうと、「わかった」。
だから、各時代の仏像とか各時代の浮世絵を覚える必要はなく、奈良時代の仏像と
江戸時代の浮世絵は、ある意味、対比すべき文物であるわけだ。
そうわかったのは、私が50歳をはるかに越えてからのことだった。
(で、あってます?)