私の読書あれこれ・続
続けて、
「本当の国語力」が驚くほど伸びる本 福嶋隆史
を読んだ。
この本、本当にすばらしいと思う。
先の中島克治先生の本は、国語エリート向きだと思うのだが、こちらは、
たぶん、どのご家庭でも(やる気になれば)できそうである。
そして、効果が目に見えるのではないだろうか。
私としては、両方の都合のいい分だけを、使わせていただこうと思う次第だ。
(なお、中島先生の方式を、なぜエリート向きと言うかというと、効果が
出るまで相当な年月が見込まれるからだ。(あ、もちろん、私の勘で、だが。)
そのような年月に耐えられるのは、エリートに違いないと思うのである。)
上記の福嶋先生の本は、どこを読んでも、「なるほど〜」と思えるのだが、
最後でかなりびっくりした。
それは、上級の中学入試(?)では、
「文中に使われていない心情語を解答に使うことが要求される」ということだった。
心情語とは、優越感とか孤立感とか、そういった抽象語である。
私は、なんとなく、心情語に限らず、文中に無い重要な概念語を使うのは「反則」では
ないかと思っていた。
理由はないが、まあ、「根拠を文中に求めよ」を狭く解釈すると、そうじゃないかなと。
しかし、たとえば、中島先生の例題(「海と毒薬」)でも、解答に、文中に無い
重要表現(「心の貧しさ」)が使われている。それを読んだときに、ちょっとだけ
違和感があったのだが、福嶋先生の本を読んで、納得した。
それは「反則」ではないのだと。
個人的には、超難問だと思うのだが。
で、つい最近高校受験を終えられた息子に聞いてみた。
「問題文中に無い心情語を使って解答を書くべきときってあるの?」と。
すると、息子の奴、おごそかにこう答えるではないか。
「解答に心情語を書くべき問題には3つのパターンがある。
1 心情語が問題文中にあり、それを書かなければならない。
2 心情に関する記述があり、それをまとめるために心情語が必要になる。
3 心情に関する直接的記述はないが、そのときの状況から判断し、
その心情を表現するのに必要となる。
パターン1では、その心情語を書かなければアウトだろう。
パターン2と3では、自分で、心情語を思いつかなければならない。
パターン3は難しいが、逆に言えば、許容範囲が広いのではないか。
しかし、変わった高校でないと出題しないと思う。
俺が受けた高校はパターン2が中心だった」
ほうほう。なるほどねぇ。
付記:
息子の解説はもう少し続いた。
「パターン3の問題を出す高校の受験生は、もう、おまえら超能力者?っていうくらい、
なぜか正解を当てまくっていた。
俺の高校(すなわち、私の高校でもある)でも、ごくたまにパターン3が出ることはあった。
でも、あれは受験生をびっくりさせるだけだったと思うよ」
そうだね。
俺らの学校の生徒がそういう問題解けるわけないもんね。