数学のパターンについて 最終回

前回書いたことを図にすると、次のようになる。
 

 
(これは、まさに、「つかんだということ(子供編)」で書いたことだった。
 ほんと、進歩ねーですね。けど、ま、ブログだし。)
 
上の図で「学習者の思考」と書いた、矢印の方向がポイントである。
学習者は、派生パターンを学びながら、基本パターンを見つけていくのである。
そして、そうやって見つけたパターンは、もう、今更覚えようとしなくても、
忘れられないものになっているだろうとも思う。
 
(図で「出題者の思考」と書いたのは、たぶん、多くの出題者が考える方向を
 示したものである。出題者は、当然、パターンをよく知っている。
 そして、それを使って問題を作っていくのだが、入試問題レベルになると、
 かなりオリジナリティが要求されると思う。
 同業者、というか、塾の先生に「あ、この問題、去年の○○高校の問題と
 そっくりだ。センセー、ひねりが足りないなー」と言われたくないだろうから。
 
 そのような事態を避けるため、出題者の先生は、いろいろ考えると思うのだが、
 それは、おそらく、「基本パターンから、独自の派生パターンを生み出す」と
 いうことになるのだと思う。
 
 で、上級の学習者は、自身もそのように考えてみるとよいと思う。
 えーと。独自の派生パターンを生み出す・・・、のは、ちょっと待とう。
 そうではなくて、いろいろな派生パターンが、基本パターンから、どんな風に
 生み出されているか、を考えてみるということである。
 もちろん、それは、あくまで、補助的な勉強であるのだが。)
 
このような基本パターンは、自分で見つけていくものなのだろうか。
人に教えてもらうことはできないのだろうか。
 
私は、基本パターンは、自分で見つけていくものだと思う。
それは、上の説明からも明らかだと思う。
だって、「お金を分割し、分割されたお金同士の比を考えるパターン」なんて、
人さまに言われても、わかりにくいでしょ。
「基本パターン」は、一方では論理とつながっているが、もう一方は
「学習者の個性」とつながっているのだと思うのだ。
 
たとえば、私は、「ドリル その3」のパターンを
「お金を分割し、分割されたお金同士の比を考えるパターン」と書いた。しかし、
それが「正解」というのではなく、「私はそう思う」というだけのことだ。
ところで、まあ、そういう考え方を認めるなら、「ドリル その1」(数学が
できるようになるためのたった1つのこと3)のパターンは
「棒を分割し、分割された棒同士の比を考えるパターン」と言うこともできる。
すると、「その1」も「その3」も、もっと根本的な基本パターン
「何かを分割し、分割されたもの同士の比を考えるパターン」
の派生パターンと考えることができると思う。
「その2」も、ほぼ同様である。「その2」は、速さの問題を集めたが、速さとは、
「距離を時間で分割したもの(距離を時間で割ったもの)」だから。
これらを、「比率の問題のパターン」などと呼んでもよいかもしれない。
私は、「1つのものを2つの数で表す思考(パターン)」と呼んだ。
どう呼ぶか、そして、どうとらえるかは、その人の個性だと思うのだ。
 
つまり、基本パターンは、自分で見つけていくものだと思うのだ。
ただ、指導者(先生や親)が、助けてあげることはできるだろう。
可能なら、助けてあげるべきだと思う。
しかし、指導者は、「自分の見つけた基本パターン」にこだわってはいけない。
もし、指導者がそれにこだわり、それを伝えることのみに力をふるったなら、
子供は、それ以上の基本パターンを見つけにくくなるだろうと思う。
それは、子供が指導者以上には優秀になれない、ということにもなる。
おそらく、どんな親も、それは望まないと思う。先生もそうだろう。
 
つまり、「指導をする」ということは、ヒントをあげつつも、最後は手を離す
・・・という、大変難しい、しかし、尊い仕事であると思うのである。
 
終了。