今の問題と遠い記憶・もう1つの続き

たとえば、数学の定理には、いくつかの「部分」がある。
名前、本文、式、図、証明、例などである。
この中で一番重要なのは何だろうか。
「学習」という観点で。
 
と書いた方の続き。
 
もちろん、正解などないに違いない。
考えること自体が重要なのであって、みなさんの出した答えが、みんな正解なんですよ。
ちゃんと考えられるみなさんを先生は大好きですよ・・・。
ということになるのだろうが、私の答えをだしておきたい。
 
それは、「名前」だ。
人間は、名前がないと考えることができないから。
そんな話は、前にもした。(「俺の名前を言ってみろ」)
 
ところで、「数学の定理には、名前、本文、式、図、証明、例などがある」と書いたが、
「定理の部分」としては、他に、「登場人物」、「登場人物間の関係」もあると思う。
三平方の定理で言えば、「点、直線、三角形、直角三角形、斜辺、(辺上の)正方形」などが
登場人物で、「2辺が直交している」「各辺の上に正方形がある」なんかが登場人物間の関係だ。
 
ちょっと考えると、「関係」は「登場人物」かどうか、が気になる。
「登場人物」とは、「名詞的な数学用語」のことである。
たとえば、「辺」は名詞であり、たぶん、普通に「登場人物」と考えられるだろう。
一方、「辺と辺が垂直に交わる」などという文が、それらの「関係」を表している。
ここでは、「垂直に」や「交わる」といった非名詞的要素が重要になる。
しかし、それらの「関係」は、いったん理解されると、「直交」とか「直角」という名詞に
よって簡単に表すことができるようになる。
すると、「直交」とか「直角」も名詞なんだし、「登場人物」に入れてもいいよね。
ということになるだろう。
 
ここでは、「学習の指針」を考えたいだけで、厳密な理論展開をしたいわけではない。
だから、アバウトである。
アバウトに簡単に言うと、人間は、自然に
 
   複雑な事象の理解
      ↓
    名詞化(命名
 
のように考えるのではないだろうか。
上の例で言えば、
 
 「辺と辺が垂直に交わる」という事象を理解
      ↓
  それを「直交」と言い切る
 
が、我々の自然な思考ではないか、ということだ。
 
もちろん、定理自体も「登場人物の関係」を表しており、それも、名前で表わされる。
たとえば、三平方の定理なら、
 
 「直角三角形の斜辺の2乗は、他の辺のそれぞれの2乗の和に等しい」という事象
      ↓
   それを「三平方の定理」と言い切る
 
ということだ。
 
このような「言い切り」ができるのは、その「事象」をよくよくわかっている場合のみだろう。
逆に言えば、そのような「言い切り」ができるように、考えることが、「定理の勉強」では
ないだろうか。
これが、私が、「名前」を重視する理由である。
 
ここまでをまとめると、私が良いと思う勉強法は、次のようになる。
 
・ものには名前がついていることを知る。
・登場人物たちを、名前を見ながら、確認する。
・登場人物たちの関係を考える。
・関係に名前があるかどうか考える。
・新しい名前は覚える。(理解する前でも後でもよいと思う。)
 
ちなみに、ここまで「数学」の例で示してきたが、理科でも社会でも同じだと思う。
ただ、登場人物や関係の仕方が違うだけだ。
 
これで、終了・・・、かと、思ったら、え〜と。
「名前、本文、式、図、証明、例」の「本文、式、図、証明、例」はどこに行っちゃったの?
書いてる本人がそう思いますぜ。
 
まず、上記の勉強法は、主に、本文・証明に適用されるものなので、これらについては
論じたことになっていると思う。
 
つまり、
 
 ・本文や証明は、登場人物とそれらの関係に分解せよ。
 ・登場人物も関係も名前によって表される。
 ・だから、その名前が大事。
 
ということだ。
式は、どうだろう。「式」には独特のものがあるような気もする。
が、言ってしまえば、「式」は、記号で書かれた「文」もしくは「文章」であろう。
だから、扱いは、本文や証明と同じだ。
が、特に短い式は、そのもののが「名前」と同じだと思う。
子供のころ呪文のようにしておぼえた「半径 x 半径 x 3.14」は、これ自体が「名前」のような
ものだったと思うのだ。
 
「例」については、あとで、もう少し考えたい。
ただ、今回の切り口で言えば、やはり、「登場人物とそれらの関係に分解し、名前をつけて覚えよ」
ということになると思う。
たとえば、「3・4・5の直角三角形」とか。
 
この項目はこれで終了。