勉強をはばむもの イメージが違う

最近、数学の本が読めるようになって、天狗の私である。
では、今ままでどうして読めなかったのか、を考えたい。
 
それは、「私の中の数学のイメージ」と「数学の本の中の数学」が
異なるものだったからだ。
(「数学の本の中の数学」が「本当の数学」かどうかは知らない。)
 
こういうことはよくある。
たとえば、私は、遊びでゲームを作っているのだが、ときどき若い人に
「教えて」と言われる。もちろん、オッケーである。
が、会話は次のようになることが多い。
 
若者「○○さん、ゲーム作ってるんですね。私にも教えてください」
私「じゃあ、まず、ウィンドウズアプリができるようにしなきゃね。
  超特急で教えてあげよう。まずね・・・」
若者「あの・・・。そういうことはいいんです」
私「え?」
若者「ですから、ウィンドウズアプリはいいんです。
   ゲームの作り方だけ教えてください」
私「えーと。ウィンドウズアプリを作れないと・・・」
若者「じゃ、もういいです」
 
この若者を非難するつもりは毛頭ないのだが、たぶん、彼の中にある
「ゲーム作りのイメージ」と私の知っているものが、全然違うもの
なんだろうと思う。
 
あるいは、昔、どこかの空手の先生が次のような会話を書いていたような気がする。
(うろおぼえですので、詳細は違うと思います。)
 
入門者「先生。基本ばかりで飽きました」
先生「武道は基本が大事なんですよ」
入門者「でも、私は、後ろ回し蹴りがやりたいんです。
  ほかの技はいいです」
先生「・・・」
 
私は、この入門者さんのことは笑えなくて、柔道をちょっとだけやったときに、
背負い投げを教えてくれる先生に、「私は足払いだけ教わりたいんです。
そのために受身が必要なら覚えますが、足払い以外の攻撃はできなくていいんです」と
ノタマッテしまいました。ごめんなさい。
(いえ、そんな失礼な言い方はしてません。そういう意味のことを言ったんです。
 ちなみに、空手をやっていると、足払いはものすごい脅威です。)
 
要するに、「イメージと違う」ということなのだ。