ゆとり教育と競争

ゆとり教育も終了し、ゆとり教育論者もほぼ沈黙するようになった今、
「もういいんじゃないか」と言えるかもしれないが、やっぱり、総括が
必要なのでは、ないだろうか。
もちろん、私は、そんな大それたことをする立場にないが、初等中等教育
まじかに見ているものとして、ささやかな意見を述べたい。
 
それは、「ゆとり教育における競争」についてだ。
ゆとり教育では、競争を否定している」と聞いたことはない。
が、その名前から判断しても、見聞することから判断しても、ゆとり教育では、
「競争を教えていない」と思う。
私は、これが、ゆとり教育の最大の問題点であったと思う。
 
競争は善か悪か。
という問には答えられない。
しかし、競争は、現実にある。
子供たちにその事実を教えないということは、人生をかけた戦いの場に、
ルールどころか、それが「戦い」であることすら教えずに立たせるということだ。
こんなにひどいことがあるだろうか。
 
もちろん、「人生の戦い」には、「自分との戦い」もある。結構ある。
しかし、やっぱり、「他人との戦い」、つまり、「競争」も大いにあるのだ。
そもそも、学校という場所は、人生の戦いに勝つ方法を教えるところ
ではないのだろうか。
 
学校の先生は、「自分が先生になったことで、先生になれなかった人がいる」と
いうことを、子供たちに教えるべきだと思う。
「自分が先生になること」が、純粋に子供たちのためであったとしても。
政治家の先生は、「いつも選挙で戦っている」と教えるべきだ。
「政治家として当選すること」が、純粋に国民のためであったとしても。
 
ゆとり教育を推進した人たちは、一流大学を出て、官僚やら学者として、
大変な成功をおさめてきた人生の勝利者そのものである。
あの有名なIT長者さんもこの有名な社長さんもそうである。
そういう事実は、事実として伝えよう。
 
子供たちもそんなにボケっとしているわけではない。
だから、いろいろなことを通して(たとえば、インターネットを通して)、
人生には「競争」があることがわかる。
しかし、それは、なんともゆがんだ形で伝わる可能性が高い。
(特に、インターネットを通すと。)
たとえば、「うまいことをやった奴が勝つ」のような。
 
競争には負の面つきまとう。
できればなくしたい競争も多い。
でも、競争が現実にある以上、目を背けることはできない。