伸展と強化について5

さて、私がどんな風に、(かつて苦手だった)中学の歴史を勉強したか。
勉強をはじめたのが、ざっと4年くらい前。
それからずっと暗闇の中にいたのだが、ようやく、出口が見えたのは、今から
2年くらい前だ。(その前にも、ときどき光が見えたような気がしたが、それは
出口ではなかった)
この話は、2008年9月22日・23日・25日のブログに書いてある。
 
それまでの2年強は何をやっていたかというと、「創出」をやっていたのだと思う。
そんなに時間がかかったのは、私の能力の低さや、歴史にだけ専念できるわけでも
なかったことが大きいと思うが、また、直接話せる先生(お手本)がいなかった
のも大きかったと思う。やっぱり「創出」は一大事なのだ。
その後2年近くかかったのは、まあ、やっぱりそれだけ(勉強だけ)やっている
わけではないからで、これはしかたがないかと思う。
 
これまでの勉強の様子を語ってみたい。
教科書に使ったのは、「くわしい歴史」(木村茂光編著)「理解しやすい日本史B
(井上満郎、藤田覚伊藤之雄著、高校生用)「学習漫画 日本の歴史」(集英社
である。また、他にも数冊参考にした本はある。
このうち、私が、ほぼ極めたのは「くわしい歴史」で、あとは参考程度。
で、歴史の勉強で、「やっていてよかった」と思えるのは、
 
 ・年号を暗記した
 ・歴史本を読んだ
 ・歴史漫画を読んだ
 ・各時代のおおざっぱな特色を読んだ
 ・まとめノートを書いた
 ・「歴史とは何か」を何度も考えた
 ・子供たちに教えた
 
である。
 
年号は、4年前から、ゴロをつかって覚え始めた。
「なくよ(794年)ウグイス平安京」みたいなやつだ。
これは、参考書を2、3冊購入して、その中から、気に入ったものを選んだり、
自分で作ったりした。
最初はかなーり難航したが、まあ、4年もやっていればなんとかなるもんだ。
結局、100くらい覚えたようだ。(ただし、明治以降はちょっとあやしい。)
年号は、「無味乾燥な知識」だが、「歴史的な何か」を考えるときには、絶大な
威力を発揮する。たとえば、アメリカ合衆国憲法ができたのは1787年だそうだが、
それを読んだときに、「ほほう。それは寛政の改革がはじまった年だな」と思った。
そして、「そんなことに気がついちゃうなんて、俺って、なんて賢いんだ」と
思ったものである。
 
「歴史本」とは、大人向けの「歴史をまとめた本」だ。
たとえば、「スーパービジュアル版 早わかり日本史」(河合敦著)とか
「一冊でわかるイラストでわかる図解日本史」(野島博之著)だった。
これらの本は、「歴史とはこういうものか」と最初に理解する(つまり、私の
知識の体系の中に、「歴史」という部分を創出する)のに大いに役立ったと思う。
 
歴史漫画は、親野智可等先生のお薦め(「楽勉力で子どもは活きる!」)で購入し、
子供たちに読み聞かせしながら、自分も読んだ。
かなり大部(20巻)なので、最初は「もっと短い本にしておけばよかった」とも思った。
前九年の役後三年の役の話なんて、詳しすぎて・・・」なんて。
でも、3回も読み直すと、これでよかったと思えた。
(弟夫婦は、姪の中学受験のときに、短い本(1冊ですむもの)を購入したそうで、
 結局は、好みで選らんでよいのだと思う。)
 
各時代のおおざっぱな特色は、「理解しやすい日本史B」によいまとめ(各節のはじめ)が
あるので、(必要な部分だけ)2、3回読んだ。これは、大変重要なことだった。
 
まとめノートを書いてみたのは、最初は、なかなか頭に入らなかったからだが、そのうち、
「いろいろなまとめ方がある」と気がつき、まとめることが楽しくもなった。
たとえば、私たちがよく言う「○○時代」というのは、たぶん、「誰の政権か」で
分類されているのだと思うが、時代の分類は、必ずしもそれだけではないようだ。
たとえば、「律令政治」としてまとめるならば、前段階としての聖徳太子から大化の改新
壬申の乱、平城遷都、平安遷都などに一連のつながりが見える(ような気がする)。
武家政権」とまとめれば、平清盛鎌倉幕府室町幕府(もちろん、江戸幕府にも)に、
一連のつながりが見える(ような気がする)。
逆に、一口に平安時代といっても、内部に、「律令政治再建」「摂関政治」「院政
「武士の台頭」といった細部の構造がある。
こういったことを、まとめてみたら、よい勉強になったようだ。
そのヒントは、「理解しやすい日本史B」の「まとめ」にあった。
 
「歴史について何度も考えた」というのは、たとえば、上記のことである。
また、歴史という教科には、私たち理系人間にはなかなか理解できない「論理」がある
ように思えてきた。それについて、いろいろ考えたのである。
 
私は自分で勉強をしながら、子供たちに教えていった。
ずいぶん前に書いたが、本来「先生」は、「すべてをわかった上でその科目を好きな人」
がなるべきなので、私が教えたのは、理想ではない。
しかし、他に教えてくれる人がいなかったので。
で、子供たちに教えたつもり、実は、「教えること=学ぶこと」というすばらしい
実体験にもなってしまった。
 
以上は、事実の羅列である。
これから、この論理的な構造を考えていきたい。
 
続く。