自分と子供たちのための数学勉強法 補足

これまで、ずっと、「基礎的技能の訓練(つまり獲得)」の話をしていて、
最後になって急に「新しい概念の獲得」という言い方になってしまった。
すべては、私の言葉の定義の話であり、重要でもなんでもない。
そもそもこのブログの読者がいるかどうかもあやしい(笑)。
が、自分なりの決着をつけるための補足。
 
私の定義では、「技法が使えるようになった状態」を「技能が身についた」と
言うのだったから、これからは、「技能」ではなく、「技法(技能)」を考える。
で、私は、「概念」も「技法(技能)」も、ほぼ同じもののつもりである。
 
「概念」と言えども、哲学者ではない私にとって、それは、なんらかの
問題解決の道具である。だから、道具という側面を強調すれば、
「概念」=「技法(技能)」ということになる。
(もちろん、私にとって、今話している文脈では、です。)
ただ、どちらかと言うと、以下のようなニュアンスの違いがある。
 
概念    :高級感が漂う 総合的な雰囲気
技法(技能):実践感(?)が漂う 個別的な雰囲気
 
たとえば、「私が数学を勉強する目的は新しい概念の獲得である」と言った方が、
「私が数学を勉強する目的は新しい技法(技能)の獲得である」と言うより
おごそかな感じがする。だから、そう言ったのである。
 
とは言え、「概念」の方が、総合的な雰囲気があることも事実だ。
それは、「概念(=技法)」の重層性による。
たとえば、「傾き」という概念を習う中学生は、当然、引き算や割り算を理解して
いなければならない。「引き算」も「割り算」も、はじめて習う小学生にとっては、
立派な「新しい概念」だったはずだ。
しかし、「傾き」を習う中学生に、「傾きを教える前に、確認しておきたい。
君たちは、引き算や割り算といった概念を理解しているか?」など言ったら、
中学生はこれから何が起るのだろうと思うだろう。
 
つまり、本当にはじめて新しいものとして習うとき、「概念」は「概念」とよぶ
のが相応しいように思うのだが、一度それを理解し、より複雑な「概念」を
理解する際には、「技法(技能)」とよばれるのが相応しいのではないか。
中学生には、「傾きを教える前に、確認しておきたい。
君たちは、引き算や割り算はできるよな?」と言う方が自然だろうということだ。
当然、微分を習うときには、「傾き」は、「概念」などと個別に意識されるもの
ではなく、計算手順にすぎなくなっているだろう。
いや、単に、私の語感にすぎない。
 
ところで、あと1つ言いたいことがある。
このどうでもいいような言葉遊びのエントリー(?)に、何がしかの意義があると
したら、それは、次のことだ。
 
「概念」という言葉には、大変高級感があるので、人前で話すにはもってこいだが、
その高級感ゆえ、そういう言葉ばかり使っていると、あまり高級感のないものを
見落としてしまいがちであるように思う。
たとえば、「概念」は(普通は)立派な名前がついたものであり、たぶん、
参考書の前後の見開きページにも乗っている。
しかし、それ以外にも、重要な「知識」はたくさんあると思う。
 
「自分と子供たちのための数学勉強法9」で例にした、「2つの図形の面積を比べる
ときに、それぞれに共通した部分を足して考えるとよいことがある」はどうだろうか。
私の定義では、これは「概念」でもあり、極めて重要である。
しかし、たぶん、名前がついていないし、あんまり高級感もない。
だから、「技法(技能)」という言葉を使ったのだ。
そして、数学には、このようなものがたくさんあるように思う。
 
(ちなみに、「2つの・・・」は受験テクニックとよばれるものかもしれないが、
 これをより一般化すると、「何かを証明したいときに、何かを付け加えて考える」
 という考え方になる。と思う。
 これは、ブルバキ先生の御本にも書かれている重要事項...でしょ?
 その具体例には、図形問題が好きな人にはなつかしい補助線などがある。
 あるいは、「2つの・・・」は、補助線(1次元)を2次元に拡張した「補助面」と
 言うべきものかもしれない。ま、いいか。)
 
「数学ができるようになる」ためには、このような、あまり名前のついていないか
ついていてもそれほど華々しくない「小さな知識」をたくさん身につける必要が
あるのではないだろうか。
あるいは、それらの「知識」の集大成として、数学があるのではないだろうか。
このエントリーを書き始めた頃、私には、このことが重要に思え、このような
「小さな知識」を「技法(技能)」とよんでいたのである。
 
そういう見方をすれば、「小さな知識の集まり」(「小さな概念」 = 技法)が
「概念」であり、「概念の集まり」が「数学」である。とか。
う〜ん、最後は、ちょっと決まらない?
 
以上。