小学生教育の次に来るもの3

前々回、小学生教育で非常に役に立った「一般論」が、中学生教育では、
あまり役に立たない(卒業してしまっている)という話をした。
で、「個人の意識」「各教科の勉強」などが、個別の問題として立ちはだかる。
ような気がすると書いた。
 
「各教科の勉強」に関しては、そろそろ親が見るのは難しい年頃かもしれない。
実際、学校や塾の先生に「完全にお任せする」ということで、よいのかもしれない。
一方、もう少し付き合いたいという思いもある。
 
自分で教える場合、当たり前のことかもしれないが、ひとつ思うことがある。
それは、「子供に何かを教えるなら、十分に予習して、その教科の全体像を
もっている方がよい(もっていないよりずっとよい)」ということだ。
 
私は、自分の苦手意識から、私自身がちょっとずつ歴史の勉強をして、
それを子供に話して聞かせてきた(まだ、完了まで時間がかかる)。
が、「中学校で習う歴史全体に関する見通し(=全体像)」はもっていなかった。
そして、今、ようやく自分の歴史の勉強が終わって、「全体像」がもてたのだが、
あらためて振り返ると、「私の歴史の講義」(それほどすごいものではなく、
「お話」にすぎないのだが)は、ずいぶんと非効率的なものだったと思うのだ。
つまり、かなり、時間がかかってしまった。
「時間がかかった」ということは、逆に言うと、「じっくりできた」とも
言えるので、失敗だったとは思わない。
しかし、やはり、「全体像」をもっていた方が、より効率的、効果的に話が
できたかと思う。
 
ところで、社会には、歴史以外に、地理と公民がある。
地理も公民も、私は、全体像どころか、基本すらわかっていない。
歴史の教訓に学ぶなら、「これらは、私自身が完璧に理解してから教えた方が
よい」ということになるのだろう。
しかし、そう思うと、気が重い。
そもそも、私が歴史の勉強をやり切れたのも、「子供に教える」という
モチベーションがあったからだ。そして、そのモチベーションを維持するのに、
「子供と一緒に勉強する」ということは大きかった。
 
すると、あれ、最初の結論と違っちゃう?
つまり、はじめに全体像を持たなくても、一緒に勉強すればよいのかな?
 
これは、難しい問題だと思う。
言ってしまえば、「子供と一緒に勉強しつつ、なるべく早く全体像を把握する」
ということになるのだろう。
いずれにしても、待ったなしの問題だ。
 
この項目は、以上です。