さようなら高速大量学習、少なくともしばらくは

ずいぶん前に、私は、高速大量学習(とでも言うべきもの)に感銘を受けた。
このブログにもそう書いた。
これは、「受験を勝ち抜く」には、おそらく、最適の方法であろうと思う。
 
が、人間、いつも受験状態であるわけではない。
また、高速大量学習は、劇薬のようなもので、長時間の使用は難しいのでは
ないかと思うようになった。
何のことはない。
子供たちが、私の高速大量プログラムに反抗するようになったのだ。
 
高速大量学習法。
指導者によって定義も違うだろうし、何が高速で、何が大量か、生徒によっても
感じ方が違うだろう。
とは言え、まあ、とにかく、高速に大量のことを学ばせようとする方式だ。
たとえば、私は、100マス計算を高速大量学習法だとは定義しない。
 
私は、最近まで、子供たちに、国語の単語ドリル、社会の白地図、数学の基本
問題集などを、(すべてを毎日ではなく、選んで)やらせていた。
実のところ、どれも、1日1ページやらせるだけである。
国語ドリルは、1ページに20近い単語があり、私の子供たちには、大量学習に
なっていたと思う。また、数学の問題集1ページには、通常数題程度の問題
(基本問題が主で難問はない)がある。これも、私の子供たちには、(そして、
おそらくたいていの子供たちにとっても)かなりの大量学習であったはずだ。
これを、毎日全速力でやらせたのだから、これが、「私の高速大量学習」と
いうことになる。
(実際、塾などでやっているのは、こんなものではないと思う。)
 
このような学習を、最初、私は、一種のショック療法のように考えていた。
ガンと大量の知識(「数学の考え方」なども、知識の一種だと思う)を与えて、
それを身につけさせようとしたのだ。
「ショック療法」というように、長期間利用するつもりもなかった。
のだが、やってみると、意外に効果があるようだし、良いものなら続けてよいだろう。
いやむしろ習慣化した方がよいのではないか。と思うようになり、続けてきた。
実際、数ヶ月ほどは、習慣化していたと思う。
 
しかし、最初に書いたように、どうも子供たちの「反抗」が、強力になってきたのだ。
もちろん、最初から、子供たちの「抵抗」はあった。
「今日は疲れてる」とか「見たいテレビがある」とか。
しかし、それでも、最初の頃は、なんとかやらせることができた。
それが、最近は、どうやらせようとしても、動かないようなのだ。
 
そのような状況になって、私は、焦りまくった。
そして、段々、「何のための勉強かわからないという状況」に陥ってしまった。
もちろん、勉強させるのは子供たちのためである。
多少嫌がっても、子供たちのためになることはある。(注射とか。)
しかし、ここまで本格的に嫌がるなら、それは、もう、「子供たちのため」には
ならないのだろうと、最近になって、ようやく、気がついたのだ。
 
繰り返すが、高速大量学習は「受験を勝ち抜く」には、おそらく、最適の方法で
あろうと思う。が、人間、いつも受験状態であるわけではない。
まあ、しばらくは、高速大量学習を控えようと思う。