壁は避けられないもの、乗り越えるもの

最近、息子は、勉強に関して、ちょっとした壁にぶつかっていたように思う。
私(+妻?)も悪かったと、私自身反省することしきりだ。
が、やっぱり、こういう壁は、来るべくして来たのであり、これからも
何度か来ると覚悟するしかないのだろう。
 
思うに、私自身、ずいぶん壁があった。
このブログでも書いたが、子供・学生時代の算数・数学に限定しても、
幼稚園での「右と左がわからない」、小学校での「時計が読めない」、
中学校での「クラスの半数以上が100点だったのに一人だけほぼ0点だったテスト」、
高校での「数学の成績3」などがある。
(私の高校には、「10段階評価で2を取ると退学」というウワサがあった。
 たぶん、正確ではないが、それに近いことはあったと思う。
 私は一度3を取ってしまい、本当にドキドキした。)
思い出さないだけで、壁はもっとあったに違いない。
 
大学である教授がこんなことを言ったことがある。
「君たちは、大学に入れて自分が頭がいいなんて思うなよ。これまでの人生には、
 何度も危機があったはずだ。一次関数とか二次方程式とかね。
 君たちは、それを、たまたま運よく乗り越えてきただけなんだから」
みんなブーイングをしたが、それは、「それは違う」というものではなかった。と思う。
「自分こそ、いつも運よく乗り越えてきたから大学教授になれたんじゃねーか」と
いうものだった。
つまり、みんな、壁とか危機とかいうものがあったとは思っていたのだろう。
 
私は、これまで、息子や娘がなるべく壁に当たらないように、気を配ってきた
のだと思う。それは、私が否定する「先取り学習の考え方」だった。
しかし、たぶん、どんなに、工夫しても、やっぱり人間は壁に当たる。
それは乗り越えるべきものなんだ、と思えてきた。
 
こんな風に書けるのは、もちろん、息子がどうやら壁を越えたようだからだ。
再び息子が壁にぶつかったとき、あるいは、娘が壁にぶつかったとき、
親は何もできないが、今回のことを教訓として、見守っていこうと思う。