歴史の勉強のゴールとは

なんて、わかるわけはないのだが、なんとなくわかった気になったので、
自分用に記録しておきたい。
 
私は、この1、2年ほど、何度も何度も、旧石器時代から勉強をはじめて
大化の改新あたりで力尽き、その内容をすっかり(?)忘れ、もう一度
勉強しなおして、また大化の改新で力尽きる、というのを繰り返してきた。
 
おかげかどうか、最近は、なんだか、聖徳太子中大兄皇子の気持ちまで
わかるような気がしてきたのだ。
と、言うと、妻は「それは妄想」という。
もちろん、それは、わかっている。のだが、なんだかそれくらい日本の
古代がわかってしまったような気がするのだ。
(もちろん、学者のようにわかったとか、それ以上だとか、とんでもない
 ことを言っているわけではない。教科書・参考書に書いてある範囲での
 理解に過ぎないことは、自覚している。
 聖徳太子なんかいなかったとか、「大化の改新はフィクション」という
 説もあるようだし。)
一応、言っておくと、私がわかったと思う「聖徳太子中大兄皇子
気持ち」とは、「朝鮮半島の国々(特に、新羅)に対する対抗心、
もしくは、恐怖心」だ。
まちがってたらごめんなさい。でも、そんな気がする。
 
で、もしそれが正解だとして、私は、そんなことを習ったおぼえがない。
遣隋使にしたって、「大陸の文化を学ぶため」なんて、なんだか、
ただの留学のイメージしかなかったし、大化の改新も、単純な権力争い
くらい(実際、権力争いではあるが)にしか思っていなかった。
 
ところが、参考書を読んでみると、遣隋使の外交的側面もちゃんと書いて
あるし、大化の改新後の白村江の戦いの話もちゃんと書いてある。
「学校で習っていなかった」のではないのだ。ただ、習っていても、
それらの事実が、私の心に届かなかっただけなのだ。
 
どうしてだろうか。
それは、言ってしまえば、興味がなかったからなのだろう。
 
逆に言えば、教科書や参考書に書いてある事実を、より深く考えていけば、
それでよいのではないか。そう思うようになったのだ。