ワカルvsナレル

で、おそらく、反復ものだと思うのだが、ワカル(理解する)とナレル(習熟する)の話。
 
教育者の方の発言に、「意味もわからずに反復練習させるのはよくない」というものがある。
たしかに、その通りだと思う。
しかし、私は、むしろ、「意味をわからせようとし過ぎる」こと、「ワカルを重視し過ぎる」
ことに、危惧を感じてしまう。
「意味もわからずに反復練習」という言葉には、どこか「哀れな犠牲者」を暗示するものがある。
確かに、そういうケースもあるだろう。
しかし、一般的に言えば、本当に何の意味もわからずに同じことを繰り返すことは、子供で
あっても、できないのではないだろうか?
反復練習をする子供は、何がしかの「理解」をもって、反復練習をしているのだと思う。
問題は、
 
 0.その「理解」が正しいのか
 1.その「理解」が正しい場合、それで十分なのか
 2.その「理解」が正しいが、不十分な場合、理解を深める道を用意してあげたか
 
ということだと思う。
もちろん、間違った「理解」は有害だ。だから、直してあげなければいけない。
一方、「理解が十分か」というのは判断が難しい。
私は、間違った理解でなければ、それが不十分なものであっても、「はじめの理解」としては、
それでいいのだと思う。
前にも書いたが、たとえば、分数の掛け算や割り算を、はじめから徹底的に理解させようと
するのは、大抵の場合、間違っていると思う。
ざっと説明したら(←それは必要だと思う)、計算練習をさせた方がよいと思う。
その後、分数の計算に習熟したら(ナレタら)、より理解を深める教育をしてあげればよい
のではないか。
 
たとえば、ワカルを重視する方は、失礼ながら、「自然数の性質(定義?)」を述べることは
できるだろうか。たとえば、ペアノの公理なんて話がある。
その辺の話を理解していなければ、自然数を扱ってはいけないのだろうか。
そんなことはないと思う。
まず、自然数によく慣れてこそ、「自然数ってなんだろう」という話ができると思うのだ。