自分の客観性

私は、大学で2年半ほど、ゆる〜い空手をやった。
その後、30年くらい、数年単位の休みを挟みながら、自己流に変形した
ヘッポコ空手を続けている。
と言って、突き(パンチです)を20回くらいすると疲れて休んでしまうという、
とんでもないヘッポコ空手だ。と言うか、空手を名乗ってはいけない?
 
が、最近、思うことがある。
今の自分が、自分史上最強なのではないか、と。
つまり、10代20代のときより、今の50寸前の私の方が強いのではないかと思うのだ。
その理由は、突きがものすごく速くなったからだ。
うっかりすると、見えないくらい速いのだ。
 
さて、ここで問題です。誰にとって見えないくらい速いのであろうか。
答は、「私にとって」である。
他人、特に、元気な若者が、「○○さん(←私)の突きって速いですね。
見えなくらいっす」と言ってくれることはない。
暖かいまなざしで、「がんばってますね」と言ってくれる人はいる。
 
私は、確かに、今の自分の突きは、昔の自分の突きより速いように思う。
しかし、本当は、若い頃の突きの方がずっと速いのに、私の脳や目(たぶん、
主に脳)の反応速度が遅くなっていて、それで今の自分の突きが速く見えている
のではないだろうか。
世の中には、年を取るほど強くなる妖怪のようなジーさんたち、いや失礼、
すぐれた武術家たちがいるという。達人さんたちだ。
しかし、私がそんなもののはずはない。断言できる。
と言うことは、どう考えても、脳や目の反応速度が遅くなっているだけなのだ。
 
別に、悲しくなんかないやいっ。
ただ、一般に、「自分の判断」ってどこまで信じられるんだろうと思うのだ。