先取り学習vs先行体験9

社会科編の最後。
 
これまで、私は、社会科を蛇蝎のように書いてきた。(言い過ぎです。)
社会科は、かつて、私にとって、「無味乾燥で脈絡のない知識の暗記」でしかなかったからだ。
でも、社会科の先生は、おそらくそうは思っていないはずだ。
私が数学や物理学を愛するように、社会科の先生は地理や歴史を愛していることだろう。
そんな人たちが、社会科を「無味乾燥で脈絡のない知識の暗記」なんて思っているはずはない。
 
ちょっと別の例で考えてみよう。
数学が嫌いな人には、数学の「面倒な計算問題」は、苦痛なだけではないだろうか。
しかし、そういう計算問題には、「ガマンして訓練すれば、数学が苦手な人でも、ある程度は
なんとかなる(点数が取れる)」という側面がある。
そのため、数学が苦手な人も、計算問題の訓練をガマンして行うのではないか。
ますます数学を嫌いになりながら。
 
実は、数学が好きな人でも、大部分の人は、計算問題を好きではないと思う。
しかし、計算が出来なければ先に進めないことを理解し、数学のもっとおもしろいことを
学ぶためにガマンして、計算の訓練をしているのだと思う。
ガマンはガマンだが、なんとか合格点を取るためのガマンとは違う。
数学が好きな人は、ガマン(計算問題)の向こうに、もっといいものを見ているのだ。
 
考えてみるに、社会科の暗記問題(麦の生産地とか、大化の改新の年号とか)は、
数学における「面倒な計算問題」に相当するのではないだろうか。
数学は単なる計算問題で終わらない。むしろ、計算は数学の入り口にある。同様に、
社会科は単なる暗記問題で終わらない、むしろ、暗記は社会科の入り口にあるのではないか。
私は社会科のことがよくわからない。だから、これは「想像」に過ぎない。
が、この想像が正しいとすると、「暗記の向こうにあるもの」は一体何なのだろう。
 
社会科の問題を見ていて、ごくたまにだが、出題者の意図が見える気がすることもある。
勘違いかもしれないが、それは、「人間に対する興味」ではないだろうか、と思う。
つまり、社会科の先生方は、人間や人間社会に興味を持ち、同様の興味を持つ子供たちを
育てたいのではないだろうか。
人間の社会的活動は多様で、それをよく理解するためには、ものすごくたくさんの事実を
積み上げる必要があり、当然、そのうちの重要なものは暗記しておかなくてはならない。
(あるいは、自然に暗記されてしまう。)
そういうことではないのだろうか。
それなら、私にもわかるし、賛成できる。
 
長々と書いてきて、結局、当たり前の結論に達しただけだろうか?
それとも、大きな勘違いをしているだろうか?
社会科が苦手な私は、社会科が好きな人たちの気持ちを想像するしかないのだ。
ここまで推論できて、私は、本当によかったと思う。
(ブログを書いている甲斐があった。)
 
結論すると、社会科では、先取り学習も先行体験も有効。子供たちには、単なる知識の
暗記を強要するより、人間とその社会に興味を持たせるようにしたい。
ただし、知識の暗記そのものは、必要である。
ということになる。
 
社会科編は終了。