夕べの話

娘が「足が痛い」というので、お医者に行ったところ、捻挫と診断された。
しかも、骨にヒビだかなんだかがあって、それはもっと前にやったものだという。
「もう○○なんかやめて、算数で生きていこう」と言うと、「拒否する」だって。
その後、私がふともらした「選択公理」という言葉に「説明して」と食い下がる
息子を追い払うのに苦心していると、妻は「娘の足より解析学が大事なの?」。
(「選択公理ってのがあって、学生時代、よくわからなくて、すごくいや〜な
 気持ちになったことがあるんだよ」ともらしてしまった。
 選択公理は、私には、ものすごく「当たり前」に聞こえる。
 しかし、それをわざわざ「公理」というのは、つまり、「当たり前」ではないって
 ことでしょ?これが、当たり前じゃなきゃ、いったい何を信じて生きていけば
 いいんだあ、と思ったのだ。もちろん、私の誤解の可能性も高い。
 最近、初心者向けっぽい本を見つけたので、その本を読んでいたのだ。)
息子は、(私の読んでた本の表紙を見て)「解析学じゃなくて集合論だよ」。
解析学より集合論より娘の足の方が大事ですって。
 
息子から、近所の中学校の惨状を聞いた。
教育論も何もない、もはや、教育の場ではなくなっているらしい。
それは、現場の教員がなんとかできるものではないと思う。
その中学校に通ってるまじめな子供はかわいそうだ。
娘の友達はその中学校の学区に住んでいるが、何がなんでも、
別の中学校に行く方法を画策中とか。