土地を愛する人々

前に書いた「地理にドラマを」に関連して。
 
私には理解できない人々の中に、「自分の住んでいる土地について熱く語る人々」がいる。
大昔の郷土の英雄や、近くの山や、昔の土地の様子などを、とても熱く語る。
もちろん、そういう人々を非難しているのではない。
単に、私は、そんな話がどうしておもしろいのか理解できず、呆気に取られてしまうのだ。
しかし、逆に、彼らは、私のように、自分の住んでいる土地に愛着を示さない人間に驚くようだ。
 
私の両親は都会に出てきたもの同士で、私が生まれたK県の町の出身ではなかった。
10歳まですごしたその町を、私は、「心のふるさと」と思っているのだが、親父は、むしろ、
その町のことは好きでないフシがある。早く出て行きたかったようだ。
両親は、結局、C県の町に定住し、その町を愛している。
私自身は、「自分は本質的にC県民」だと思っている。
しかし、その土地と私たち一族に歴史的なつながりは、何もない。
私は、10歳から大学生くらいまで両親とともにC県で過ごした後、あちこち放浪し、今は、
結婚してK県の別の町に住んでいる。そこで子供たちが生まれた。
私も妻も今住んでいる町が好きだが、永住するかどうかは、状況次第だと思っている。
思うに、私は放浪者であって、どの土地とも歴史的に結びつくものはない。
それに、生まれた町もC県の町も「新しい町」であって、そもそも歴史など何もなかったように思う。
私は、そういう自分の経歴を特に珍しいとは思わない。
実際、私の幼馴染たちは、みな日本中に散っていて、もとの町に住んでいる人はかなり少ないはずだ。
だから、「自分の住んでいる土地について熱く語る人」がいると、「また、あのタイプの人だ」と、
不思議な気持ちになるのだ。
 
ところが、今住んでいる町は、いなか町だが歴史がある。郷土の英雄(偉人)もいる。
おもしろいことに、子供たちは、自分が生まれた町をとても愛していて、郷土の英雄を誇りに思っている。
彼らを見ていて、「ああ。なるほど」と思う。そして、好ましく思う。
  
(以下続く...かなと思ったけど、一応、終了にします。)