なぜ大変なのか

子供たちが赤ちゃんだった頃、楽しかったが大変でもあった。
多くの人が、同様のことを言っていると思う。
(もちろん、子育てに否定的なのではない。ただ、「大変だ」ということだ。)
しかし、昔の親はもっと大変だったはずだ。
我々は紙おむつを使ったが、昔の人(私の母の世代)は、布オムツを手洗いしていた。
ミルクにしたって、今の方が断然楽なはずだ。
それなのに、どうして、我々の世代は、「乳児期の子育てが大変だ」と思うのだろうか。
 
ひとつ思うのは、「楽になるともっと楽になることを求めてしまい、現状は昔より楽になって
いるはずなのに、昔より大変だと感じるのではないか」ということだ。
「乳児期の子育て」を「大変」と感じるのは、「昔の人の子育て」と比べてではなく、
「現在の他の仕事」と比べてのことだ。「仕事」はいつの時代でも大変なはずだが、
それでもやはり楽になってきていて、「子育て」のような生のマンパワーを必要とする「仕事」
の相対的な大変さが際立ってきたのではないだろうか。
この「楽になるともっと楽になることを求めてしまい」は、我々の上の世代の「現在」にも
当てはまるような気がする。つまり、全世代で、同時進行している問題の一端に思えるのだ。
 
今、我々は、あまり楽を求めてはいけないのではないか、と思う。
別に、「道徳心」からではなく、社会を維持するために。
「楽を求める」ことで、文明が進んできていることは否定できない。
したがって、ここで言う「楽を求めない」とは、本来、「時代の歩みが速くても遅くても、それを
素直に受け止め、現状ではあり得ない『楽』は期待せず、現在できることを精一杯やる」ということに
なるだろう。
が、人間、そんなに立派には生きていけない。
だから、もっと現実的な「楽を求めない」とは、「(ずばり)楽をしない」「(一見)無意味な
面倒を進んで行う」ということになるだろうと思う。
 
我が家での子育てはまだまだ続く。
楽をしないようにと自分を戒めなければならないが、子供たちにもあまり楽をさせない
方がいいのではないか、と最近よく思う。