ちょっとブラックに

超有名私立大学でAO・推薦入試が増えているという記事を読んだ。
その理由づけとして、大学が「偏差値ではなく、個性で選んでほしい」と。
そう思う気持ちはわかるし、その気持ち自体は正当だと思う。
 
でも、正当さの陰に本心を隠していると思う。
本当の理由は「18歳人口が減少し、経営的理由から、勉強して来なかった学生も入れたい」だと思う。
(悪意なく無邪気にアクティブとかいう「地獄への宗教」を進める人たちもいるようだけれど。)
だって、そうでしょ?
受験戦争真っ盛りの私の時代にもちゃんと大学の個性はあった。
でも、そのときは、「AO・推薦で大量の学生を入学させます」なんて言ってなかった。
今更そんなことを言うなんて。
(昔、アイドルが某私立大学を受験して落とされた。
 そのとき、皆、その大学の矜持に感心したものだった。
 しかし、個性的というなら、アイドルという存在は相当個性的ななずだ。)
 
でも、本当の理由なんか言えないから、キレイなキレイな理由付けをする。
個性を見てほしい。とか。
だいたい個性とかやる気とか言って、偏差値の悪口を言ってれば、たいていの人は賛成するもんだし。
(関係ないけど、だいたい隣国の悪口を言えば、選挙で得票できる悲しい時代・・・。ま、今はいいか。)
 
それから、昔のやり方は通用しない、多様化の時代、部活動やボランティア、留学経験、
知識・技能で解けない問題に答を出す力、主体性・多様性・協働性、、、。
いつものアレですね。
で、これらは調査書で見られると。
つまり、子供たちを常時監視下において、「良い子」だけを評価しますと。
 
しかし、昔のやり方が通用しないなら、昔のやり方で育てられた子供たちの中から
「個性的で優秀な人材」を見つけるって、言ってておかしくないのだろうか?
もちろん、そう言ってる人たちは全員昔のやり方で育てられたんだから、
「自分たちは新しい時代に通用しないからさっさと引退すべき」と思わないのだろうか。
 
私立大学が何をやっても勝手だろうけれど、その総長先生がなぜか文教政策に発言力があって、
国立大学もそれに追随する傾向があるようにも見える。
(その大学の人気がライバル校に比べて落ちていることと無関係でないのではないだろうか?)
「自分たちの給料を確保するため」に子供たちから子供時代を奪い、さらにその上、
基本的な知識・技能を身に付けるチャンスを奪うようなことはやめてほしい。