アクティブラーニングの恐怖7

七夕にこんな話もなんだったので、ちょっと飛ばした。
 
さて、「宿題をやらないA君が100点を取り、宿題をやるB君が30点を取る」という事実。
これは、まず、同じ宿題も人によっては意味があったりなかったりということを意味する。
したがって、単純に言えば、「一斉授業には限界がある」ということだろう。
 
しかし、それなら個別授業がいいかというと、コストも含めていろいろ難しいだろう。
AIの活用で、かなりの部分を個別化できるかもしれない。
なにしろ、F君はAIに習ったのだから。
しかし、それは、まだ先の話なので、今はしない。
 
さて、B君はどうして、英単語書き取りの宿題をちゃんとやっているのにテストの点が悪いのだろう。
考えられる答には、当然、「そもそも記憶力が悪い」「実はやる気がなかった」「ごまかした」など、
いろいろな可能性がある。「ごまかした」は論外として、他を考えたい。
 
・そもそも記憶力が悪い
記憶力のすごくいい人はいる。ほんとーにうらやましい。
しかし、記憶力が良く生まれるというのは、お金持ちの家に生まれるなどと同じで、しかたがない。
貧乏な家に生まれるとなかなかお金持ちになれないが、その可能性はゼロではない。
記憶力が悪くても、生きていく方法はあるはずだし、それを探さなければ生きていけない。
だから、本当に記憶力が悪いのであっても、その事実を見つめさせることが大事だろうと思う。
(あと、何度言うが、学校の勉強くらい、なんとかなると思う。それは以下を参照。)
 
・実はやる気がなかった
これだと思う。
本当に、B君が、そして我々全員が、考えるべきことは。
 
B君は、何を考えながら、英単語の書き取りの宿題をしていたのだろうか。
テレビを見ながら適当にということもある。
「そんなことはない、ちゃんと集中してやった」と言うかもしれない。
じゃ、覚えようとしてやったのだろうか。
たぶん、「ちゃんと覚えようとしてやった」と言うだろう。
でも、覚えられなかったわけである。
覚えられなかったけど、宿題は「英単語を5個書け」だから、それ以上は書かなかったのだ。
それは、本気で覚えようとしたのではなく、「宿題をやった」という体裁を整えただけだよね。
 
「先生の言う通り宿題やりましたよ。それなのにテストで良い点取れませんでした。
 先生、責任とってくれますか?」とB君が言うかどうかわからないが、心の中でそう思う子
(と親御さん)も多いと思う。
しかし、それは、つまり、やる気がないということなのだ。
 
年端の行かないB君を責めているのではない。
私なら、こんなことをB君に言ったりしない。大人が言うのはあまりにひどい。
B君は泣いちゃうか、不良になっちゃうかもしれない。
 
しかし、誰かが言わなければいけないことだと思う。
誰が?
一番望ましいのは、「自分」だと思う。自分で気づいてほしい。
そうでなければ、同級生の誰かだろう。
(私は「言う係」も「言われる方」もやった。
 高校時代は、基本、「言われる方」だったが。
 「〇〇〜(←私のこと)、おまえ、ちゃんと公式覚えてる?覚えなきゃだめだろ」とか。
 そう言ってくれた彼らには本当に感謝している。)
大人(先生や親)の仕事は、テストをやって、その結果を受け止めさせることだと思う。
自棄になりそうなら、助言も必要だろう。
しかし、最初から結果を受け流させたり、あるいは、テスト自体をさせないのは、間違いだと思う。
 
「やる気」の話になった。
そこでアクティブラーニング・・・ではない。
アクティブラーニングは、私が言う「やる気」をそぐもの、あるいは、存在自体を隠すものだと思う。
私が言う「やる気」とは、「英語を勉強して将来国際的な職業に就きたい。だから英語を勉強しよう」と
かそういう「やる気」ではなくて、「次のテストで良い点とるために英単語を覚えよう」という「やる気」である。
一般に、前者は「崇高なやる気」で、後者は「レベルの低いやる気」(あるいは、「間違ったやる気」)と
取られているような気がする。
前者の「やる気」は大いに結構だが、国際的な職業に就くためには、起業しない限りテストで良い点を
取らなけらばならないと教えてあげよう。
後者の「やる気」は(高尚な人たちがどんなに嫌っても)必要なのである。
一方、前者の「やる気」がどんなにあっても、結果がでなければ絵に描いた餅なのである。
 
そして、ちゃんと「良い点取るために覚えるぞ」と思ってやれば、そして、多少のことで心が折れなければ、
B君もテストの点が上がると、私は確信している。
「100点取れるのか?」「A君に勝てるのか?」と言われると、それはわからない。
でも、ぼんやりやっているときよりずっと良い点になると思う。
さらにずっとやっていれば、さらにずっと良い点になると思う。