アクティブラーニングの恐怖6

多くの教育関係者および親御さんを悩ませるのは、
「宿題をやらないA君が100点を取り、宿題をやるB君が30点を取る」という事実だろう。
その理由はいろいろ考えられるが、ぶっちゃけ、そんなに複雑ではない。
しかし、みんな、それから目をそらそうとする。
 
ゆとり教育のすべてがそれだったとは言わないが、その対処も大きな部分だったのではないか。
たとえば、「関心・意欲・態度」などという項目である。
これが、如何にひどい間違いだったか書きたいが、書くとそーとースペースを取るので省略したい。
いずれにしても、子供たちをして先生の顔色をうかがわせようとする、最低の失敗だった。
とだけ、言っておきたい。
 
アクティブラーニングがどうなるのか、未知だが、たぶん、みんなでわいわい議論させることで、
この事実を覆い隠そうとするのではないだろうか。
A君もB君も、「英語の勉強法」とか「英語の歴史」とか「現在完了形とは何か」とか、
そんな課題を与えられて、調べ学習をして(自分でやるのかな?)、
議論して、発表しあって、新しい時代の学力がつきました。
 
それは違うでしょ?
いやたまにやるのはよいと思う。むしろ、ぜひやってほしい。
でも、「これを中心に据えて」というのは、A君のためにもB君のためにもならないだろう。
だって、B君がまじめに勉強している部分がないからだ。
(この点、A君は大丈夫かもしれない。塾でやるから。お金を払って。
 しかし、塾に行っていない子は、成績上位層に入れないかもしれない。と、いう話を前々回した。
 もしかすると、アクティブラーニングが目指すのは、全生徒の30点化かもしれない。
 そうすると、その30点を100点に読み替えればよいのだから。これで全員が満点だ、と。)
B君はもしかすると何かやってる気分になるかもしれないが、それで学校を卒業した後にも
使える能力を獲得するとはとても思えない。
 
「英単語は全然覚えてません。でも、英語について主体的・対話的に深く学びました」という人を
雇ってくれる会社はあるのだろうか。
(「英単語を覚えてもしかたがない、いずれ翻訳ソフトができるから」という議論はしていない。
 英単語が不要なら、他の何でもよい。)
多くの会社は、入社に筆記テストを採用している。
主体的・対話的に深く学んだB君は、それが解けるようになるのだろうか?
もちろん、特殊能力(それはある)を身に付ければ別だが、それは授業で培われたものではないだろう。
授業で培われる能力は、誰もが身に付けるだろうから、特殊ではなくなってしまうから。
 
それとも、B君は、そんな授業で、英単語を覚えていくのだろうか?
覚えていく可能性は低いと思う。
一部の人は「勉強はやる気次第」と思っているようだ。
「B君が英単語を覚えないのは、本当はやる気がないからだ」と。
だから、アクティブラーニングでやる気を出させてやれば、ひとりでに覚えていくだろう、と。
 
私には、それは夢物語としか思えない。
世の中のどれほど多くの親御さんたちが、我が子のやる気を引き出そうとして、引き出せないでいるか。
それをちょっとでも思い出してみれば、「やる気を引き出す」がどれほど難しいことかわかると思う。
ちょいとおだてて話し合い授業をさせればできると思うのだろうか?
 
それに、本当は、「やる気」以外の問題が大きいのではないだろうか。
(はい、そこ。目をそらさない。しっかり問題を見つめよう。)
当然、才能という問題がある。
才能がないなら「ない」と認識する事は、その子にとって重要な事ではないだろうか。
少しも楽しくない話題だが。
しかし、それはそれとして、重要でかつ検討する意味のある問題が別にあると思う。
それは、「やり方」である。B君のやり方は、正しかったのか?
(心の底から正直に言いたい。「才能のある人はいる」と。
 しかし、同じ程度に強く言いたいことがある。「学校の勉強程度にそれほどの才能はいらない」と。)
 
私は、B君に最初にやらせるべき事は、「なぜ、宿題をやったのにテストの点が悪いのか」という
シビアな問題に、シビアに立ち向かわせる事だと思う。
才能の問題も、やり方の問題も含めて。
それをさせないのは、最初から、B君をバカにしているのだろうと思う。
「この子は努力したって、どうせ結果は出せないんだ」と。違うだろうか?