今こそ知識教育を

最近の論調として、
 
・情報は簡単に検索できるので知識を持つことにそれほど意味がない。
・それより〇〇教育をすべきである。
 
というのが多いように思う。
ここで〇〇には、創造的とか、協働的とか、深い学びとかが入る。
(多くは、ただの美辞麗句だったり、多くの人が勝手に思い込んでいる「理想」だったり。)
 
言っている人は「新しい時代の教育」を語っているおつもりだと思うが、
言われだしたのはすごく昔で、そのような方針で教育された最初の人たちが
もう中年にすらなりつつあるのではないだろうか。
 
で、しみじみ思うのだが、今必要なのは、
 
  基礎知識の暗記
 
だと思うのだ。
基礎知識のない人たちは、何を検索しても、それを活用できないように思えるからだ。
 
今は、大人(教育者)たちの暗記に対する嫌悪感がそのまま子供たちに伝わっている時代だと思う。
だから、子供たちの多くは本当に何も覚えようとしないのではないだろうか。
 
「知識だけではコンピュータに負ける」とおっしゃる人が多いが、知識もなくてどうやって
コンピュータに勝つつもりなのか、その戦略は美しい妄想の中にしかないのではないだろうか。
 
「知識を重視しない」という人たちが重視するものは、たとえば、「必要な情報を必要な時に収集し、
それを活用するスキル」だったりするのだろう。
もちろん、私もほしい能力であり、そういうことを教育することを否定する人はいないだろう。
 
しかし、それは「そもそも知識を持っていないくてよい」ということにはならない。
繰り返すが、基礎知識を持っていない人は、「必要な情報を必要な時に収集し、それを活用する」
ことは(天才でもなければ)できないだろうと思うのだ。
 
「まあ、そう言えば、そうですね」という人も多いと思う。
「でも、それは基礎知識ですよね」と。
 
左様ですな。
基礎知識の範囲を指定しなければ、私の意見も空論だ。
とは言え、それをきちんと定義する気力はない。
ただ、それは「ものすごくたくさん」だと言っておきたい。
「パソコンでヤ〇ーやグー〇ルを使える」なんてことではなく、ものすごくたくさんの知識。
それは、子供時代の勉強時間のかなりを費やしてでもなかなか覚えきれないほどの量だと思う。
そういう量の知識を暗記するよう促す必要がある。と私は思うのである。
(一応言っておくと、知識とは「2次方程式の解の公式」などだけではなく、「その実際の使い方」
 つまり、スキルも含まれる。)
 
それは、根拠はないが、「ヒトがヒトであるために必要だ」と感じるのだ。
インターネットを検索して膨大な情報を画面に出し、その一部を無原則に切り貼りするのが、
ヒトのあり方とは思えないからだ。
あるいは膨大な情報をビッグデータなどと言って、コンピュータにまとめてもらっても、
状況は変わらないだろう。
 
我々は、肉や骨でできている。
また、「脳に蓄えた知識」も我々を構成する重要な一部であると思う。