ちょっと思ったこと 3

最初に書こうと思った算数と辞書の話から離れてしまった。
昔ならここで軌道修正するとこだけど、年を取ると、まあいいや的になる。
まあいいや。
 
前回、教育の2つの相反する目的
 
 一定の知識・技能を生徒に教え込む。
 生徒に自主独立の気概を持たせる。
 
と書いた。
ここで、最近の(?)文部科学官僚さんとか教育専門家さん風に論を進めるなら、
これらの目的をさらに分析・分解し、それらを実現するための手段を列挙し、
再びそれらをまとめ上げるロードマップをこしらえたりするのではないだろうか。
(もちろん、推測であり、推測で批判してはいけないので、そのつもりはない。)
 
しかし、人間は生き物であって、そういうのは無理だと思う。
いや、本当の教育のプロはそれを計算して実行しているのだと思う。
しかし、「万人に実行できる計画」とされたものは、元がどんなに優秀なプロの
イデアであったとしても、紙(画面)上に落とされた抜け殻に過ぎないと思う。
 
たとえば、錦織選手の個々の動きを記述し、それらをまねるような指導をしても
たぶん、上手にならないだろうと思う。
 
え?
じゃあ、錦織を目指してはいけないの?
そう主張する人もいると思う。「彼は天才なんだから」と。
しかし、まあ、凡人でも学べることはあるだろう。
それは、たぶん、細かいアレコレより、なるべくシンプルな方針ではないかと、
素人が勝手に推測する。
 
まあ、テニスはおいておいて、教育について言うと、シンプルな方針がよいと思う。
なるべくシンプルな方針で実行し、あとは個別に微修正を加えて(もちろん、
加えられるなら)いく方がより現実的でよいのではないかと。
 
そして、私が思うシンプルな方針とは・・・。
ああ、いつも同じこと書いてたなとここで思う。
が、あえて言うと、ここでは「教え込み」を主とするということになる。
センセーの仕事は、教え込みであり、ただその際に、できる限り生徒が自主独立の
気概を持てるように仕向ける。少なくとも邪魔をしない。ということである。
 
続けたい。