「勉強のご褒美」について

最近、(再び)「子供に勉強させるのにご褒美を出す」という話を聞いた。
それに対する考察。
いつもにまして意味のないエントリーである。
はじめに結論を言うと「ご褒美には反対」である。
(もちろん、すでに実行していてうまく機能しているご家庭の方針に反対するものではない。)
 
さて。
子供が黙っていても勉強してしまうタイプだったら。
「おい、ちょっとはゲームをしたり漫画を読んだりしないとダメだぞ」と叱ると、そのときだけ
ゲームや漫画の方に来るけれど、ちょっと目を離すとすぐ勉強してしまう。
しかも、なかなか勉強をやめない。
子供がそんな風だったら「勉強に対してご褒美」とは思わないだろう。
つまり、「勉強に対してご褒美を出そうか」と思うのは、勉強しない子供に対してであろう。
 
子供が全然勉強しなくてもものすごく成績が良かったら。
一日中ゲームをしたり漫画を読んでいる。教科書もノートも真っ白。
そのクセ、どういうわけか、テストはいつも満点。
大学入試も勉強してる様子はないのに国立T大学に合格しちゃった。
子供がそんな風だったら「勉強に対してご褒美」とは思わないだろう。
つまり、「勉強に対してご褒美を出そうか」と思うのは、成績が(親が期待するほどには)
良くない子供に対してであろう。
 
要するに、親が心配するのは成績の話だろうと思う。
逆に言えば(?)、成績が良ければご褒美のことで悩んだりしないはずなのだ。
 
「成績の良い人」というのを私は散々見てきたと思う。
で、タイプはいろいろあると思う。
たとえば、「本当は勉強嫌いなんだ」と言いながら、私よりずっと成績の良かったA君とか。
許せん(笑)。
しかし、基本的に、成績の良い人には勉強が好きな人が多いと思う。
「野球は嫌いだけど野球がうまい」って人はあまりいないだろう。
それは勉強も同じだと思うのだ。
(ただし、「勉強が好き」と言っても、「勉強ならなんでも好き」という変○さんから、
 私のように「数学と物理が好き。英語は苦手。社会は○○」のように選択的に好きなものがある、
 正常人もいる。
 それと、「勉強が好き」とはちょっと違うと思うのだが「良い成績を取るのが好き」と
 いう人たちもいる。個人的には「どうなの?」と思ってしまうが、まあ、広い意味で
 「好き」ということを利用していると思う。)
 
「勉強に対してご褒美を与える」という行為には、「勉強を嫌いにする効果」がないだろうか。
もちろん、ケースバイケースだろうし、うまくいく場合もあると思う。
しかし、多くの場合、それは「勉強を苦行」ととらえさせる方向にないだろうか。
そこまでひどくなくとも、「勉強自体を深く考える」という行為になりにくいような気がするのだ。
 
我が子が小さい頃に何度も書いたが、人間の子供は基本的に勉強が好きだと思う。
それがいろいろな事情で嫌いになっていくのだ。
まず「嫌いにさせない」という方向でがんばるべきではないだろうか。
もし、万一、ご褒美で勉強が好きでなくなるようなことがあれば、本末転倒である。