世界史と化学の記憶学習に関する個人的感想5

これまで「数学と物理は範囲が明確だ」と書いてきた。
しかし、考えてみると、それは数学や物理が得意な人の言い分かもしれない。
(いや、実際、世界史に比べればはるかにタチがよいとは思うのだが。)
 
数学や物理の参考書には、定義や公式や定理(以下、「公式」と略記)とそれらの使い方
(「使い方」と略記)が、けっこうごちゃ混ぜに書かれている。
私が言っていたのは、必要な「公式」は確定されていて、それほど多くないということだ。
(物理に至っては、笑っちゃうくらい少ない。)
しかし、「使い方」の方は、参考書によってまちまち(世界史よりフレが大きい)だし、
数え方によっては、大変な数になる。
 
数学があまり得意でない人(?)の数学勉強法を読むと、「使い方の暗記」が強調されている。
しかし、得意な人は、たぶん、「公式は絶対覚えなければいけない。使い方は、有用そうな奴
だけ覚えて、あとは試験会場で考えよう」と思っていると思う。
極論を言えば、「使い方」は何一つ覚えなくてもよいのだ。
(それでいけちゃうのは天才だけだと思うが、理論的には可能である。)
 
一方、社会科の苦手な私は考えていた。
「社会は暗記だ。あれも暗記、これも暗記。あー全部なんて覚えられない!」と。
もしかすると、数学が苦手な人は、数学に同じようなことを感じているのかもしれない。
と、思うようになったのだ。
(「数学は苦手」と公言する暗記本の著者さんたちのおかげである。)
 
もしかすると、世界史にも、「公式」と「使い方」があるのではないだろうか。
ただ、数学や物理に比べて、「公式」の数がべらぼうに多く、また、「使い方」も
かなり違うだけで。