世界史と化学の記憶学習に関する個人的感想2

昔、塾の先生をしていた。
 
結構大き目の塾(検索したら「大手」となってた)では、かなり大人数のクラスをくるくる
たくさん持たされた。
で、ときどき、範囲を超えた「高度な質問」をしてくる生徒がいた。
同一人物ではなく、いろいろなクラスのいろいろな生徒たちである。
 
私は張り切って説明したのだが、どうもしっくりこないことが多かった。
そして、ある日、質問してくる子たちのほとんどは、勉強が出来過ぎて授業が退屈でその先を
聞きにきているのではなく、むしろ、基礎が分かってない方の子たちだと気が付いた。
でも、聞いてくることは、「大学で習うべき内容」なのだ。
衝撃だった。
 
それから、私は、生徒の様子を見て、「君はそんなところに気が付いたのか。ふむふむ。
偉いね。だって、それは大学で習うような内容だからね。でも、そこは受験には出ない。
だから、今は気にしなくていいんだよ」と言うようにした。
 
私は悪い先生だっただろうか?
自分では、自分を「例にないくらいの良い先生」だったと思っている。
私の言葉を聞いた生徒の顔が一様に、ぱあぁぁぁっと明るくなるのを見ることができた。
 
ポイントは2つある。
 
・ほめた。
・「そこは知らなくてよい」と言った。
 
ほめるのは教育の基本だと思う。
しかし、他の生徒が気が付かないような「些細な事(しかし、学問的には重要な事)」に
気が付いたことは事実であり、それは素直にほめたいと思った。
別にお世辞ではない。
しかし、それはそれとして、「知らなくてよい」という情報は、本当に重要だと思う。
 
思うに、勉強のできるお子さんたちは、見事に「知っているべき事」と「知らなくてよい事」を
峻別していると思う。
それは優秀だからとも言えるが、逆に、その区別がわかってるからこそ成績が良いのでは
ないだろうか。と、思うのだ。