世界史と化学を勉強して思うこと

わが生涯に一片の悔いなし。
 
ではあるのだが、最近、世界史と化学を勉強してしみじみ思うことがあった。
それは、私は、これまでの人生、「記憶すること」から随分逃げてきたということだ。
言い訳をするなら、「記憶することなどくだらない」と思っていた。
(私もゆとり教育を推進した人たちと同世代であり、同じものを見てきたのだと思う。)
しかしまた、「できない」とも思っていたかもしれない。
 
世界史と化学は、あまり脈絡のない膨大な知識の集合である。
専門家さん達には、当然「脈絡のある知識のつながり」なのだろうとは想像する。
しかし、一般人、特に、必要にせまられて勉強している受験生には、そういうものだろう。
それでも、(少ないつながりを頼りにしてでも)その膨大な知識を頭に入れているのだ。
なんと感慨深いことだろうか。
 
また、専門家なら、脈略が見えているのだろうが、素人以上の膨大な知識を覚えているわけだ。
なんと感慨深いことだろうか。
 
それに比べて自分の知識は実に少ない。
と反省し、生きる気力がわいてきたけふこのごろである。