世界史雑談

まだやってる。
ティムールさんの復元像(?)を見ると、初代水戸黄門様(東野英次郎)にそっくりである。
 
国史を勉強していると懐かしい漢文に出会うことが多い。
最近では、陶淵明の桃花源記に再会して、高校時代の甘酸っぱい思い出にひたった。
「それにしても、日本史を勉強してても日本の古典に再会することはほとんどないな」と思った。
(「再会」とは一度出会っているものである。日本史で十返舎一九が出てきてもその前に出会ってない。)
 
理系にとっての世界史選択の難しさは、教材(と教員の意識)に都合の良いモノが見当たらないことだ。
知らないだけかもしれないが、たいていの「世界史センター対策本」は実は二次試験まで意識している。
「これ、一応センターの対策本なんだけど、ちょっとオーバーしてるとこもあって、でも、それは
二次試験で役に立つから覚えようね」という感じだ。(違ってたらごめんなさい。)(後記あり)
 
それは、まあ、センターでしか世界史を使わない人が少ないからなのだろう。
どこぞの、中学入試で社会科を課さない事で有名(?)な、大変賢いお子様達の高校では、
理系でも世界史選択者が多いという話をちらりと聞いた気もするが、そういう変、、、
じゃなくて、そういうお子さん達はきっと、理系でも、文系二次対策込みの勉強でもしてるんだろう。
 
そこで私は、参考書を切り貼りして「センターのみ対策(二次?知らんよそんなの)本」を作りつつある。
○態である。
ポイントは、「出ないとこは(なるべく)載せない」である。
何度も書いているが、世界史ってのは不思議な科目で、たとえば、燕雲十六州などといった、私には
どうして需要なんだかぜんぜんわからないようなコトが最重要知識に指定される。
一方、個人的には重要だと思うのだが、一切ふれられないこともある。
要するに取捨選択である。
(そういう取捨選択を素人の私がやるのはどうかと思うのだが、背に腹はかえられぬ。)
 
娘はその本(1/4ほど完成)をたいそう気に入ってくれて言う。
「学術的興味なんか全然わかない。けど、この本は点数のかたまりだと思う」と。
(つまり、覚えればそれが即点数になる、と。)
お父さん、やる気出たぞーーー。
 
後記:
(素人の)私が考えるセンターの範囲とほぼ一致しているセンター対策本を見つけた。
してみると、「たいていの世界史センター対策本は実は二次試験まで意識している」というのは不当かもしれない。