先生の言うことを聞かない子供達

中学生のとき、体育の授業でサッカーをやっていて「はっ」と思ったことがある。
先生は「ボールをつま先で蹴ってはいけない。足の甲で蹴りなさい」と言ったのだが、私は、
ほぼ迷わずつま先で蹴っていて、その事実に「はっ」と思ったのだ。
それから「どうして俺は先生の言うとおりにやらないんだろう」と思った。
そして、なんにしても、先生の言う通り足の甲で蹴ってみたのだが、全然うまく蹴れない。
先生は「つま先で蹴るとコントロールが効かない」と言うのだが、ずっとつま先で蹴ってるので、
そこそこのコントロールはつく。一方、その日はじめやってみた足甲蹴りではコントロール
どころか、「ボールを蹴っている」という状態にすらならないのだ。
 
私は決して反抗的な性格ではない。
また、私の両親は、しょっちゅう「先生の言うことを聞きなさい」と言っていた。
だから、先生の言うことに従わないことに、かなりの罪悪感は覚えた。
が、いかんせん、先生の言う通りにやるとサッカーにならないのだ。
だから、私はつま先蹴りを続けた。
(先生はわかっていたと思うが、「しょうがねぇなぁ」という感じだったのだと思う。)
そして、考察好きの私は、次のように考察した。
 
・足甲蹴りは運動神経の良い人の蹴り方だが効率的ではない。
・自分のような人間にはつま先蹴りの方があっている。
・それにしても、先生はなぜ足甲蹴りを勧めてくるのだろうか。
・たぶん、先生はつま先蹴りの良さがわかっていないのだ。
・それでは、自分はなぜ先生にもわからないつま先蹴りの良さを最初からわかっていたのか。
・たぶん、自分にはそういう才能があるに違いない。
 
ちなみに、少年時代、私は体育は得意ではなかった。
まあ、だいたい3で、たまに2というくらいだった。(おまけで4になったこともある。)
それにしても、自分で書いていて思うのだがク○ガキである。
しかし、自分の間違いに気がついたのは、大学生になったくらいからである。
その頃から、「スポーツはまじめに練習すると、そこそこにはなる」ということがわかりはじめたのだ。
 
で、記憶にないところを推測すると、本当は、次のようになっていたのではないかと思う。
 
・足甲蹴りのように非日常的な動作は、私のように運動神経のにぶい子には難しかった。
・同様の事は体育の授業で、小学校から数限りなく起こっていた。
・そのため中学生の私は「先生の言うことを、はじめから聞かない」という習慣を確立していた。
 
タラレバはないのだが、もし、私が体育の先生の言うことをまじめに守っていたら、
たぶん、もう少し良い成績になったのだろうと思う。
実際、大学からはじめたスポーツは、どれもたぶん、普通の人並みではあるだろうから。
(私の自慢は、たとえば、スキーをはじめて3日目にはパラレルで滑れるようになっていたこと、
 水泳はバタフライで泳げること(たぶん、バタフライで遠泳もできる)である。
 実のところ、それらは、先生の言うことをまじめに聞けば簡単にできるのだ。)
 
で、何が言いたいかというと、同じような事を、数学や国語でやっている子がものすごく
たくさんいるような気がするのだ。
彼らは、先生が何を言っても、はじめから従う気がない。
しかし、数学や国語を自己流でやれる人は(天才を除くと)いないので散々な成績となる。
 
自分もそうだった(ただし、体育と音楽のみ。数学や国語では素直に先生に従ったと思う)から
何となくそうしてしまう雰囲気はわかる。
「どうして?」と言われると難しいが、敢えて考えたのが上の説明だ。
そして、「先生の言うことを聞かない子供」を「先生の言うことを聞く子供」にするのは
本当に至難の業だと思う。