人はどうして勉強ができたりできなかったりするのか?6

まず、大事なことは、最初に、子供に、「それは町の勉強であって道順の勉強ではないこと」を
理解させることだと思う。
テストの問題自体は、いつも、「何かの道順」を聞いてくる。
しかし、それは、いつでも「習った施設への道順」だけではない。
「知らない施設」に行くことができるのは、「自分は町の勉強をしている」と理解している子
だけだと思うのだ。
 
問題は、「どうやって理解させるか」だと思うのだが、その前に、ためらってしまう大人が居る。
ような気がする。
(数学は難しい。全部わからなくてもいいじゃないか。せめて基本問題が解ければいい)と。
今、わざと、「数学の話」を先に言ってみました(丸カッコがあります)。
「町・道の話」で言い直せば、「町は広い。だから、全部わからなくていいじゃないか。
せめて郵便局に行ければいい」となる。
 
本当だろうか?
「数学は難しい。だから、、、」という人は結構いそうだが、「町は広い。だから、、、」と
いう人はもっと少ないのではないだろうか。
その点に、私は不思議を感じる。
 
しかし、それはそれとして、私の論点はちょっと違うのである。
もし、「町は広い。だから、全部わからなくていいじゃないか。せめて郵便局に行ければいい」
(数学は難しい。全部わからなくてもいいじゃないか。せめて基本問題が解ければいい)と
言う人がいても、そのこと自体に私は反対しない。
たしかにそういうこともあるだろう。
 
しかし、私が言う「"それは町の勉強であって道の勉強ではない"と教える」とは、まさに
「"町は広いんだよ"と教える」ということなのである。
町には郵便局や駅以外にもたくさんのものがある。
大人が子供に、そういった施設への道順を教えるとき、「町にはそれ以外のものもたくさんある」
ということが前提になっていると思う。
しかし、「50点の子」は、そうは思っていないのだ。
大人が教えてくれた施設への道順を一生懸命覚えるのが自分の仕事だと思っているのでは
ないだろうか。(私は、健気な分だけ、気がめいってしまう。)
 
「町は広い」(数学は広い)と気が付いたとき、子供たちはどう思うだろうか。
ウキウキする子もいるだろうが、恐れおののく子もいるだろうと思う。
しかし、その現実から目をそらさせてはいけないと思う。
そして、「広い町のすべてを理解するのは大変だよね。まず、郵便局への道順を覚えようか」と
言ってやるのが、大人の指導ではないだろうか。
 
続く。
 
注:
「数学は広い」などというと「数学という学問」の話でもしているようだが、ここで言っているのは、
中学や高校での教科の話である。学者になる話はしていない。
もちろん、「数学」を国語、英語、理科、社会に置き換えても同じである。