おしゃべりおとうさん塾

娘が「現代文の勉強」と称して、教科書を音読。
うんうん。いいなぁ。
 
科学批判(?)の論説文だが、その内容に唖然。
子供たちの受験がはじまってから、これでもかこれでもかと、
実に薄っぺらで内容のない「科学批判」の文章を読まされてきた。
息子は、すでに、そういう文章を分類できるようにすらなっている。
 
しかし、今度の論説文の壮絶な的外れぶりには度肝を抜かれてしまった。
科学の代表として物理学を立てる、「科学がゆらいできた(?)」ことの証左に、
つまり、アンチ物理学の旗印として、生物学、カオス、はては工学を立てる。
(いや、正直、「そんな風に読める」というだけで、本当のところはわかりません。
 理解不能な文章なので。)
ほんと、かんべんしてほしいです。
それまで眠そうにしていた息子も跳ね起きて、
「それ本当に教科書の文章?あまりのひどさに目がさめちゃったよ」。
もちろん、私も同感である。
 
突然の教科書批判にびっくりした娘は、同じ教科書の別の論説文を音読。
そっちは、まあ、なんというか、全面的に賛成ではないが、
「まあ、若い諸君が読んでおいていいよね」という文章だった。
それは、「顔」について。
 
その「顔」は、ややメタファー的な意味もあるが、実際の「顔」の話でもある。
で、それから、娘がしゃべることしゃべること。
実は、娘は、美人評論家なのである。
私も調子に乗って、「美人の普遍性」について話し出したら、もう止まらない。
 
そのうち、さすがにまずいなと思って、
「さあ、おしゃべりはこの辺で勉強に戻ろう」と言うと、娘は、
「このおしゃべりが国語の勉強なんだから」。
 
いや、まあ、楽しかった。