「数学の問題を何度も解きなおす」について10

最近、カウンターが伸びてるのにびびってますが、もうすぐ終わりです。
 
数学の勉強は次のような順序(戻ることもある)で進むのだった。
(1)定義や公式を動かしてみる。
(2)定義や公式を頭に定着させる。
(3)「おもしろい問題」に出会うのを待つ。
(「(3)が終わったら数学は終わり」ではなく、「指導」が終わりなんだと思う。
 あとは、自分でなんとかすべきであり、なんとかできるのだと思う。)
 
(1)(2)は、基本問題の繰り返しになると思う。
場合によっては、「徹底反復」というのもよいだろう。
(やらせすぎにご注意を。)
この場合、「本当に同じ問題を繰り返させる派」と「少しだけ違うのをやらせる派」が
いると思う。
が、それはどっちでもよいのではないだろうか。
(私は、「少しだけ違うのをやらせる派」だ。自分なら、そっちがいいから。)
 
(3)は難しい。
前回「運命の出会い」のようなことを書いた。
それは子供に「目を開いてくれる問題」「成長させてくれる問題」と出会ってほしい
という意味だ。
(ただし、人間の場合、運命の出会いは普通1回だと思うが、数学の場合、
 運命の出会いは何回あってもいいと思う。だから、完全なアナロジーではない。)
指導者(親や先生)が、そのような出会いを準備するにはどうしたらよいか。
 
昔は、街々に「仲人おばさん」という人がいたらしい。
(私はドラマで見ただけなので、ファンタジーかもしれないが。)
仲人おばさんは、年頃の息子さん・娘さんがいるご家庭に行っては、どこかの年頃の
娘さん・息子さんの写真を見せ、「この人と(お見合いしては)どうですか?」
なんて行って、縁結びをしていたらしい。
必ず天国に行くべき人々だろうと思う。(天国があるならば。)
 
さて、数学の話。
子供たちに、「この問題解いてみてはどう?」と、良問を見せ続けることができたら、
それが「出会いの準備」だろうと思う。
もちろん、押し付けてはいけない。
 
その場合、それは「問題を繰り返し解かせる」ということになるのだろうか、
ならないのだろうか。
たぶん、どっちでもいいのだと思う。
もし、ひとつの良問に出会い、それで成長できたなら、次は別の問題を見せる方が
よいだろうと思う。
しかし、その問題の良さを味わうことができなければ、またやらせてみる
ということもあるだろう。
ただ、どちらにしても、「徹底反復」などというものではないと思う。
 
あれ?もしかしたら、これで終わり・・・かな?