「数学の問題を何度も解きなおす」について3

先日、17歳のときの私より数学ができるであろう現17歳の息子に言った。
「数学の問題解きなおしてもしょうがないよな」と。
すると、息子の奴、「え?解きなおした方がいいに決まってるじゃん」。
え、そうなの?
お父さん、間違ってる?
 
息子の奴、自分は数学の問題解きなおしてるのかなぁ?
そんな風には見えないんだが・・・。
 
ま、それはそれとして、私の「解きなおさない」には、実は、ちょっとしたタネがある。
私は、数学で解けない問題があると、もちろん、答を見て解き方を習うのだが、
そのあと、相当長く、ウジウジその問題について考えていたのである。(たぶん)
そう何度もあったわけではないだろうが、昼休みに弁当を食べながら、
私の「問題解きアルゴリズム」について、更新・変更を考えていたことなんかを思い出す。
 
と言ったら、息子の奴、「それ、何度も解きなおしてるってことじゃん」と。
ほうほう。なるほど。
紙に向かって問題を解いたわけではないのだが、その問題をウジウジ考えていただけで、
それを「解きなおし」とな。
確かにそうかもしれない。
それなら、私は、「解きなおしの人」である。
 
が、それは、言葉の定義によって違うのではないかと思う。
本来、言葉の定義なんかどうでもいい、と私は思う。
しかし、それは、自分の中で完結しているものの話だ。
(「愛とは何か」とか。)
他人に「解きなおししなさい」とか「説きなおさなくてよい」と言った場合、
「解きなおし」の定義が、言った人と聞いた人で違っていたら大変なことになる。
 
と言うか、実際、日本中のあちこちで、大変なことになっているのではないだろうか。
なんて考えて、このエントリーをはじめたのである。