ちょっとSF 7

「英語を話せる人格」と言うと、「英語が好き」とか「アメリカやイギリスに興味を持つ」とか
そういうことを考えると思う。
それはそうなのだが、私は、それだけでは「甘い」と思う。
「好き」と言ってもどんくらい好きなんよ?と。
 
私は、「英語(アメリカ語)を話せる人格」とは、たとえば、道でアメリカ人のボブにあったら、
ためらわず笑顔で、「Hi, Bob!」と言う人格であると思う。
日本人なら、このコッパズカシサをわかってくれるだろう。
「ハイ、バーブッ!」である。アメリカンな笑顔で。
私の世代なら、そんなところを日本人の友人に見られたら、「おまえ、なんかにかぶれてんの?」と
言われること受けあいである。
しかし、そう言われて、「え?何?俺、なんか変なこと言った?普通にあいさつしただけだよ」と
本気で思えるようになるべきなのだ。
そういう人格でないと、英語(アメリカ語)を話すのは難しいと思う。
だから、英語を話したいなら、意識して自分の人格改造をすべきだと思う。
 
そう言うと、「そんなの関係ない」「そんな風にならなくても英語は学べる」「あいさつをしない
暗いアメリカ人もいる」「Hi, Bob!が言えても、バカはバカ」などと反論されそうである。
ご高説ごもっともであり、私からの再反論はない。
が、それでも「Hi, Bob!と言える人」の方が「言えない人」よりずっと高い確率で英語を話せる
ようになると思う。統計を取ったわけではないが、たぶん、100倍くらいの違いはあると信じる。
 
さて、数学に話を戻そう。
数学にも数学的人格というものがあると思う。
それは、「ハイ、バーブッ!と言う人格」より、難しいとも易しいとも言えないが、人によっては、
なかなか受け入れられないようだ。
塾講師で数学を教えるときに、「君さあ、数学を勉強するなら、そこは考え直した方がいいよ」
なんて言うと、「そんな風にならなくても数学は学べる」式の反論を受けることが多かったのだ。
 
数学的人格を、「ハイ、バーブ」式に言うなら、「しつこく考える人格」と言えるかもしれない。