息子とプリプリ

最近、プリプリを聞くと、「ねえ、この作詞者って男?女?」と聞いてくる。
ほうほう、男子高校生君、興味を持ったのかね。でも、もう、おばさんだよ。
とは思ったが、知らんふりしてあげるのが、男親というものだろう。
で、「知らないけど、歌ってる人達が作ったんじゃない?」と言うと、
「男のような気がする」と。
 
「なんで?」と聞くと、「テクスト論的には、女性目線の文章を男性が
書いても不思議はない。それは、著者と話者の関係なんだ。もちろん、
話者は著書の影響を強く受けるわけだけど、うんぬん、かんぬん」。
(↑ちゃんと再現してる自信ありません。よくわかりません。)
なにそれ?また呪文か?
それより、「この歌ってるコの画像が見たい」とか、そういう話じゃないのかね。
 
と思ったら、また、今朝その話。
「つまりね。俺が思うに、男の歌は刹那的なんだよ。"この一瞬"がどうのとか。
 そうでなければ、"1000年たっても愛してる"みたいな極端なやつ。
 でも、この歌(世界で一番熱い夏)は、"8月"がどうのとか、一瞬を切り出している。
 だから、男の視点じゃないかと思うんだ。」
お、おまえ、プリプリ聞きながら、そんなこと考えてたのかよ。
「たとえば、いきものがかりの"夢に見てた"(キミがいる)の"た"なんていうのは、
 時間の継続を意味している。それは女性的だと思うんだ」。
なんだかすごいな。
でも言ってみた「いきものがかりって、男性メンバーの作詞が多いようだよ」。
すると、「知ってるよ。でも、今の歌は、女性の作詞だから」。
 
いや、高校生って楽しそうだな。
 
付記1:
世界で一番熱い夏もダイヤモンドも女性の作詞のようです。
今調べました。
それでも、息子の考察は、かなりいい線をついていると思う。
例外もあるだろうし、「女性が男性的視点でものを書く」ってこともあるだろうし。
 
後記:
息子にもう一度聞いてみた。
すると「テクスト論とは関係ない。と言うか、テクスト論じゃ範囲が広すぎて
意味が通らない。俺は、話者と著者の話をしたんだ」と。
う〜ん。「まあいいや。がんばれ」がお父さんの結論である。
 
付記2:
私が高校生の頃、男女平等は大きなテーマだった。
その頃、男性的とか女性的という言葉自体に反発する友人も多くいて、
私もかなり影響を受けたものだった。
今でも、そんなことを語り合った日々はまちがっていなかったと確信しているし、
あれが単なる「言葉狩り」ではなかったと思っている。
が、それを超えた先に、息子たちの世界が広がっているのだろうと思う。
ま、あんまり関係ないですね。上に書いたのはそういう話ではないし。
 
ちなみに、妻は、「男子校で男女平等を語り合うこと自体がキモイ」などと。
うぬ〜。容赦ねー。
(でもね。あなたのダンナさんが、たまにだけど、皿を洗ったりするのは、
 あのときの議論が土台に、、、まあ、いいか。)